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あいち田舎暮らし応援団

あいちの山里暮らし人だより

~Michi~

Vol.31

安定や収入額よりも、時間の自由とやりがい。仕事も暮らしも家族で楽しむトマト農家に

友人の父親のトマト農業を引き継いだ、元SE・小西さんのストーリー

設楽町の名倉地区で「ルネッサンストマト」を生産している、小西勇基さん(小西トマト農園)。

名古屋でのシステムエンジニアを辞めて、設楽町出身の妻・みのりさんとともにトマト農家になったのは2022年。

今、時間に縛られず自由に働く農業の輪を、ゆっくりと広げていきたいと考えている。

 

 

就職から逃げ5浪、5年遅れの進学・就職

 

愛知県名古屋市で生まれ育った小西さん。

友達と遊ぶ毎日が純粋に楽しかった中高生時代は、ほとんど勉強せずに過ぎていったという。

99%が就職を選択する高校で、3年生になって急に焦りだす。

 

「社会に出ていくのが怖くなっちゃって。逃げるように進学の道を選びました」

 

進学先として考えたのは医学部。唐突に生まれた志が、高すぎた。現役では受かるはずもなく、浪人して中学の勉強からやり直した。

だが1浪、2浪…。5浪して医学部を諦めることにし、物理工学部へと進学する。周りより5年遅れて、大学生活が始まった。

 

大学時代は部活に明け暮れる日々。そんな中、パソコンに興味をもち、就職はSE(システムエンジニア)の仕事ができる企業を選んだ。

就職するころには29歳になっていた。就職したことの安心感は、さすがに大きかったという。

 

「たまに地元の友達と会うと、もう子どもがいたりして。お前、まだ学生やってるの、将来どうするの、なんてよく言われてましたから」

 

 

収入や安定感vs時間とやりがい

 

30歳手前で社会人になった小西さん。1つ決めていたことがある。

「今から10年かけて、その後の人生をどうするか決めようと考えていました。

10年後、40歳になった時には、そのままサラリーマンを続けるのか、違う道を進むのか。10年の間にそれを決めようと」

働き始めてみると、SEの仕事は楽しかった。派遣されていろんな会社に行き、SEの役割を果たす。

3年目には、日本でも最大手の会社に出向。世界最先端の仕事に携わる。他のいろんな会社からもプロフェッショナルが集まってきて、一緒にひとつの大きなプロジェクトを進めていく。皆いい人で、人間関係も良く、仕事も面白味があった。でも…。

 

少しずつ、小西さんの中で何かがきしむ音がしていた。

プロジェクトが大きく、多くの人が関わっているせいで、成功や失敗を自分のものとして実感しにくいことに違和感があった。

 

「成功も失敗も、もっと自分の肌で感じたい。そこに物足りなさを感じてしまったんです。あとは、サラリーマンである以上、時間には縛られる。それが気になるなぁと、ぼんやり思っていました」。

 

収入の良さと安定感は抜群、でも時間に縛られることとやりがいの面は気になる。

自分にはどんな仕事の仕方が良いんだろう、と小西さんは少しずつリサーチを始める。

 

「そこで初めて、それまで興味が無かった農業や林業に目が行くようになりました。時間の使い方が自分で決められる感じがしたことや、自分の手で何かを生み出す仕事ということに、心惹かれました」

 

 

トマトとの縁が同級生から降ってきた!

 

動けば、縁はやってくるものだ。

大学の同級生と会った時にそんな話をすると、実家がトマト農家をやっていて、人手が足りないから行ってみる?と誘われた。

それが、ルネッサンストマトを育てていた、小西さんが「師匠」と呼ぶ人との出会いだった。

 

仕事を続けながら、週末になると師匠がトマト栽培をしている設楽町名倉地区に通う生活が始まった。

夏場のハウス栽培は本当に大変。「続かないだろうと思われていたのでは」と小西さん。

だが1ヶ月が過ぎ、2ヶ月、3ヶ月…。変わらず通う小西さんに、師匠が声をかけた。

 

「お昼を一緒に食べようや」

 

もともと、話し好きで教えるのも上手な師匠と、トマト栽培のトの字も知らないけれど素直に話を聞きやってみる小西さん。

少しずつ、強い絆が結ばれていく。そして3年経った頃、師匠と奥さんに告げる。

 

「仕事を辞めて、ここでトマトを作っていきたいです」と。

 

そこからは、早かった。実は師匠側にも、小西さんにこの先を任せたいという思いがあったようで、事業譲渡という形で師匠の仕事を譲り受けた。

みのりさんと出会ったのもこの頃。やがて2人は結婚し、一緒にトマト農家をやっていくこととなった。

 

 

ルネッサンストマトと田舎暮らしの魅力

 

師匠から受け継ぎ、小西さんが育てる「ルネッサンストマト」は、設楽町名倉地区を中心に栽培されているトマト。

甘さと酸味のバランスを追求し、ストレスを与えない栽培方法で作られている。皮が薄くて繊細で「幻のトマト」と呼ばれることも。

(小西さんからお借りした写真)

 

設楽町ならではの農産物として広げていきたいところだが、年々トマト農家は減っているという。

 

「もともと16軒くらいあったんです。でも今は4軒だけ。まとまった量を生産できなくなると、これまで守ってきた大手との取引も心配です」と、小西さんは言う。

「僕はまだ3年目ですけど、ここに来てとても良かったと思います。大変なことはもちろんあるけど、時間が自由というのは本当に嬉しい。夏は忙しいけど、それでも暗くなればみんな帰りますし。家も近くて、5分もあれば帰れます。1時間半かけて出勤し、仕事をして、また1時間半かけて帰っていたころとは雲泥の差です」。

 

みのりさんも隣で、子育てや人間関係の面から、田舎暮らしの魅力を教えてくれた。

 

「子育てには良い場所だと思いますよ。皆、赤ちゃんが珍しくて、自分の孫みたいに喜んでくれる。大声でワンワン泣いたって、都会のように周りを気にしなくて良いし。それにこの地域の方って、優しいんですよね。差し入れをそっと置いていってくれたり、そんなに頑張っているなら、と知らないところでトマトの営業活動をしてくれたりするんです。」

 

 

移住&農業への挑戦仲間を増やしたい

 

自分たちがとてもお世話になったからと、小西夫妻はトマト農家の輪を広げるための活動を始めた。

トマトの最盛期である夏場を中心に、短期で手伝いに来てくれる人を募集。少し余裕のある冬場は、ブログでの情報発信をしたり、就農に興味がある人向けに座談会を開いたりしている。

 

「今年の夏は、30人くらい来てくださいました。単純に手が足りないので、本当に助かりますし、就農につながれば一番嬉しいけど、トマトが美味しかった、いい時間が過ごせた、と言っていただけるだけでも幸せです」と、みのりさん。

 

小西夫妻が大切にしているのは、農業やトマトと触れられる機会をいろんな形で増やし、勢いだけではなく、しっかりとした考えをもって移住や就農をしてもらえるようにすること。そこには、実際にその道をたどった小西さんの強い思いがある。

 

「移住してきて農業を始めるって、僕もそうでしたけど、周りの方たちに本当にたくさんお世話になるんで。これだけ良くしてもらっておいて、例えば1年で終わっちゃったら周りに迷惑がかかる。それは最悪ですから」

 

小西さん自身も移住を決心するまでには約3年、時間が必要だった。

 

「少し先に暮らし始めた僕らが相談に乗ります。お金のこととか子育て環境とか。気になることは何でも聞いてもらえたら」

 

今の小西さんの生活。

トマトの最盛期である夏は朝5時からしっかりと働いて、冬はゆっくりと過ぎていく時間を楽しみながら、趣味の雪山に出掛けることも。

少し前に会った予備校時代の友人に、今の生活をうらやましがられたそうだ。

 

「みんなもっと優秀で、もっとお金をもらっているのに。少し年を取って落ち着いたときに、考えちゃうのかもしれないですね。自分が望む人生ってこれだったのかなって」。

「俺たち、何のために働いてるんだろうな」という友人のつぶやきが、今も心に残っている。

 

どんな暮らしに価値があると感じるかは、人それぞれだ。

小西さんはサラリーマンをする中で、時間の自由さと、自分の手でものを作って売ることのやりがいに、価値を置いた。同じような価値観の人に、この暮らしの魅力が伝わり、さらにはこの場所で一緒に農業を盛り上げられたら…。

「まずはデスクワークの息抜きに、“葉かき”だけでも体験に来てもらえたら。トマトの成長を邪魔しないように、ひたすら葉を取り除くだけなんですが、瞑想みたいって結構人気なんですよ」。もしかするとそれが、トマト農家への扉を開くかもしれない。

(小西さんからお借りした写真)

 

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インタビュー:佐治真紀   執筆:田代涼子   撮影:中島かおる

 

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