実家のある豊根村へ「単身赴任中」
新しいUターンの形がここにあった
豊根村の森林組合で働く夏目孝博さんの暮らし方は、人とは少し違う。休日は名古屋の家で妻や子どもたちと過ごし、平日は豊根村で暮らしている。いわば、まちから田舎へ「単身赴任中」なのだ。夏目さんがこのようなライフスタイルを選んだ理由と、暮らしてみての実感を聞いてみた。
きっかけは父親の病気
夏目さんは豊根村の出身。高校進学で村を出たものの「いつかは帰ろうかな」という気持ちがあったという。大学卒業後は名古屋の印刷会社に就職して、やがて結婚。住居は名古屋にある妻の実家近くに構え、そこで子育てもしてきた。
そんな夏目さんが再び豊根村へと戻るきっかけは、父親が病気になったことだった。
「父は昨年(2021年)亡くなってしまったのですが、病気になったと連絡があったのが2017年の6月。豊根村の実家には、母と祖母が一緒に暮らしていましたが、やはり男手がなくなるのは大変ですし、自分も近くにいたかった。そこで、妻と相談したんです」
「俺ちょっと、単身赴任するわ」
相談、とはいうものの、家族全員で豊根村へと移住するのは難しいことが分かっていた。思春期に差し掛かった2人の息子たちは進学を控え、クラブ活動も忙しい。子どもにも妻にもせっかくできた人間関係がある。豊根村は、自身にとっては故郷でなじみの人たちもいるが、家族にとって今から田舎暮らしを始めるのはハードルが高いことかもしれない…。そこで夏目さんは提案した。「俺ちょっと、単身赴任するわ」
落ち着いた家族の暮らしを極力今まで通りに守りながら、病気の父親や実家の家族の面倒も見る。自分と周りができるだけ納得できる方法が、「単身赴任」だった。単身赴任と聞くと、サラリーマンが会社の都合でするイメージだが、夏目さんは自身と周りの人たちのための最適解として、それを選んだ。15年間勤めた名古屋の印刷会社もやめた。
森林組合の事務職員になる
実家に引っ越すと同時に森林組合で働き始めた。それまで森林関係の仕事をした経験はなかったが、山のことは身近に感じていた。そこに関わる仕事、「ゼロから学んで頑張ってみよう」と思ったという。
「自分が豊根村出身だというのも、はじめの一歩を出しやすかったと思います。周りに顔を知っている人が多かったので、なじみやすかったですね」
森林組合の事務職として採用された夏目さん。以後今まで、そこで働き続けている。仕事をしながら関連資格の勉強をしたり、重機も扱えるようになったりと、自分の成長を楽しんでいるようだ。
「20歳の頃には、将来こんな風に働いているなんて、思いもしなかったですね。僕はこれまでしていた仕事に対して、こだわりがあまり強くなかったのですが、それがかえって良かったのかも。すっきりと新しい仕事に入れましたから」
「罠猟の免許も取ったんですよ。実際獣害に困っているし。シカを捕まえたりしていますよ」と、すっかり頼もしい姿の夏目さんだ。
写真やSNSで林業の魅力を発信
夏目さんが、森林組合の仕事をしながら力を入れていることがある。それは、写真やSNSでの魅力発信だ。林業の普及を目指す愛知県森林協会のフォトコンテストで、夏目さんはここ3年連続で賞をとっている。
「現場確認の際のついでに、スマホで撮って送っただけですよ。自分じゃ何気なく撮っただけの写真だから、何が良いのか分からないけど」と笑う夏目さん。だがそのリアルな写真にこそ、価値があるのだ。
(2020年あいちの森林・林業フォトコンテスト第20回グランプリ受賞作品)
(ご本人提供)
林業で木を切る姿を動画撮影し、SNSに投稿するとかなりの反応があったという。
「まちの友達が、『こんなことやっているんだ!』って反応してくれました。確かに、森の中での作業は、普段外には見えないもの。それが新鮮で、かっこ良く伝わったら、林業にとっても必ずプラスになると思います」
その感覚はおそらく、夏目さんが一度村を出て都会でしばらく働いていたからこそ、身に付いたものだろう。ずっとそこにいては気づかない魅力も、外から見れば眩しく映る。今夏目さんは、こうした動画や写真などの発信を通して、豊根村の林業の魅力を、外の世界に伝える重要な役どころを担っている。
地元のために働いているという充実感
今、森林組合では、全国の需要をつかんで、いかに木を高く買ってもらうかの取組みをしている。愛知県森林組合連合会と村とが協力して、実証実験の真っ最中だ。「愛知県内だけではあまり需要がない。ネットワークを使って、県外など、需要のある所に高く買ってもらえるようにならないと」。林業も少しずつ時代の向きをとらえ、変わろうとしている。夏目さんも今、その真っただ中で奮闘中だ。
「豊根村に帰ってきて林業に関わるようになり、この仕事にやりがいを感じています。地元のために働いている!という充実感がある。我が家もそうですが、地元の人はたいてい自分の山をもっている。でも、管理ができていないところもたくさん。これから自分たちが何とかしなきゃ、という気持ちが強くなってきました。帰ってきてから、昔よりもっと、山が身近な存在になりました」
「ちょうどいい」の形は家族ごとに違う
夏目さんの単身赴任生活も5年になった。5年経って今、ちょうどいい感じに落ち着いているという。
「母も祖母も、自分がこっちにいなかったら淋しかっただろうなと思います。田んぼや畑をやるのも、1人少ないとずいぶん大変になる。一緒にやれてよかったなと思いますね」。そして週末は名古屋の自宅へ。
「妻に苦労をかけている部分はやっぱりあるので、週末はできるだけ家族孝行しています。でも、都会の買い物に付き合うのは疲れますねぇ(笑)」
名古屋の自宅から豊根村の実家へは、車で3時間。この3時間を遠いと捉えるか、近いと考えるかで、ずいぶん景色の見え方は変わってくるのだろう。
「100kmちょっとの往復を、毎週する。大変そうに見えますが、もう慣れましたし、気にならないですね。2つ家があることの良さも感じていますし」
子どもの進学などを考えると、名古屋の自宅はこれからも必要。子どもたちの手が離れた後に奥さんも豊根に来る予定とのこと。
一方で豊根村にやってこれば、子どもたちの目も輝きだす。
「盆や正月などは、こちらでゆっくり過ごします。下の子は、田んぼでカエルを捕まえたりもしてましたねぇ。カエルの卵なんて、名古屋にはなかなか無いでしょ。喜んでいましたよ」
「実は僕以外にも、同じような単身赴任男性が2人いるんですよ」と、夏目さんはいたずらっぽく笑った。
「それぞれが、自分たちにとって一番いい方法を見つけてやってみたら良いと思います。」。
私たちが今思う「珍しい形」は、いつかはスタンダードになる、その始まりに過ぎないのかもしれない。形にとらわれない柔軟さとお互いを思う心で、新しい暮らし方を実践する夏目さんの姿。それは自然で、喜びとともにあった。
インタビュー:佐治真紀 執筆:田代涼子 撮影:中島かおる