「心がhappyなんですよ」
移住先で飲食店を開業したrock 'n' roller
東栄町と聞いて「花祭」を思い浮かべる人は、すでに奥三河の魅力をよくご存じの方だ。
国の重要無形民俗文化財に指定されている花祭は、天竜川水系に今も伝わる民俗芸能で、700年以上にわたって継承されてきた伝統的なお祭り。毎年11月〜3月の冬の寒い時期に、八百万の神を勧請して、所願成就、厄難除け、生まれ清まりを夜通しで祈願する。(地区によっては1日で終わる花祭もあり。)
今回、その花祭に魅せられて東栄町月地区に移住を決めた、居酒屋ダイニング「古民家ダイナー月猿虎(TSUKIENKO)」のオーナー河原和明さんと妻のTanaさんに、お話を伺った。
移住の決め手は花祭
「花祭を見てカルチャーショックを受けました」と言う河原さん。この花祭との出会いで猛烈に東栄町に対する関心が高まった。色々調べてみると、チェンソーアートや音楽のお祭りがあったりして、自分たちの趣味と共通することが多かった。早速、役場の空き家バンクを紹介してもらい、とんとん拍子に話が進んだ。役場の担当者の対応の良さも、決め手だった。行政の支援金などのサポートが自らのやりたいことに相通じたことも移住を決めた理由の一つ。「どうぞ、お店を作ってください」という歓迎してくれる感じが何よりも嬉しかった。
「他の場所も探したけど、東栄町のようなウエルカムな雰囲気はなかった。最初はもう少し名古屋の近くにしようと思ったけど、ここの自然が大好きだし、花祭のインパクトも大きかった。東栄町の豊かな自然と伝統ある古い文化が良かった。」とTanaさんは言う。
名古屋生まれの河原さん。跡を継ぐことを前提にご両親が営んでいる名古屋市内の飲食店に20年ほど従事。東栄町に移住後、高齢になった両親からお店の経営権を承継。信頼できる社員に現場を任せ、東栄町と名古屋を行ったり来たりしながら切り盛りしている。
シンプルな暮らしがしてみたい
移住を考え始めたのは、今から8年ぐらい前。一番のきっかけは東日本大震災。
「もっと自然な生活をした方がいい」とTanaさん。
震災の後、少しずつ考え方が変わってきた。休日に山間地域にハイキングに行くことが当時の二人の共通の趣味。何度も山間地域を訪れるうちに、もっとシンプルな暮らしがしてみたいと考えるようになった。大袈裟にいうと、お金を得るために仕事をする今の社会の働き方・暮らし方に自分たちがハマらなくなってきていた。
「ここに来る前に、飲食店とは別に大型商業施設にて、年中無休の支店を6年間経営してました。そこで従業員を雇用してきましたが、ある時ふと「人はロボットじゃない」と気が付いてしまった。365日営業する店では、毎日決められたことを同じように働くことを従業員に求めないといけない。それを6年やってみて、もう我慢できないと思ってしまった」と河原さんは、遠くを見ながら話してくれた。
違う場所、違う生活、まったく違う文化に入ってみたい
アメリカ生まれのTanaさん。日本の山間地域や田舎へのあこがれをもって、来日したのかと思いきや、そうではないらしい。
20年前、当時Tanaさんは自分の人生を面白いと思えていなかった。
漠然とアジアに憧れ、2001年に香港へ。でも、香港には自分が目指してきたrock 'n' rollの文化があまりなかった。日本ならあるかもしれないと思い2003年に来日。
「私は、バンドをやるために単身で日本に乗り込んできた人です。日本に引っ越しして一週間目に、名古屋のライブハウスで和くんに出会いました。私もバンドでベースをやってる、和くんもバンドやってる、周りの友達もみんな友達同士だったんです」とTanaさん。
バンド以外にもTanaさんもアメリカで料理の仕事をしていたという共通点があり意気投合した。
お正月の二日に花祭があるからとTanaさんに誘われて、2016年に東栄町を訪問。花祭に魅了され、翌2017年、東栄町に引っ越してきた。
手間をかけることこそが喜び
憧れの移住生活は、ゼロから二人でスタート。すべてが、自分たちのイメージ通りに事が進んだそうだ。
移住にあたり、毎週のように東栄町に通い空き家を探した。そして現在の家が見つかった。値段の交渉、片付け、農地法のこと、相続、土地の登記。時間はかかった。ものすごいエネルギーを使ったという。でも、何もかも自分たちで選び、一つずつ決めていく、そのすべてがとても楽しく、充実感を覚えた。
「古い建物は味があるし、自然の材料で作られている。このあたりの家は大きいから、お店と住まいが一緒の方がやりやすい」と店舗兼住宅にすることを決めた。
この家は、東栄町の中心からは少し外れているが、国道沿いで2階もあるし、広さも雰囲気も申し分ない。もっと山奥に住んでみたい気持ちもあったが、店をやるなら立地も大事な条件の一つ。仕事を作って生活をしていくことが大前提にあった。お金をかけて改修し移住に踏み切るわけだから、失敗するわけにはいかなかった。
昭和5年築の建物。改修工事には、7か月を要した。工事は、2軒隣にある地元の建築屋さんに依頼。わがままを聞いてもらい、思い描いていた通りに仕上がった。漆喰は自分たちで塗り、愛着も増した。
店舗の什器には、同じ東栄町在住のアイアン作家「大円商店」の作品を使用。あちらこちらにチェンソーアートの作品を並べたりと、東栄町の“新しい生活文化の風”によって店舗内が彩られている。
体調の変化はストレスフリーの生活のおかげ
「空気がいいし、水も食べ物も全部美味しい。身体にはっきりと変化が出てきた。風邪をひかなくなったし、健康ってこういうことなんだと実感している。なぜ田舎の人が長生きされるのかわかった。都会にいた時は、色々な娯楽に飲み込まれてたけど、なくても全然いいね。こっちにきてから、都会はいいなと思ったことないですね」と河原さんは言う。
Tanaさんは生まれつき喘息を患っていた。しかし、ここに来てから急に体調がよくなったという。移住してからは薬を服用していないそうだ。街に住んでいる時はずっと風邪ひいてるような状態で、その上、なかなか治らなかったが、移住してからは年に一度風邪をひく程度。そして、ひいてもすぐ治るそうだ。
「体調がよくなったのは、食べるもののおかげだけではなく、近所付き合いが心地よいから」とも。
名古屋に住んでいる時も飲食店の経営をしていたので、近所と関わりはあった。しかし、生活する上では、今のような親しい近所付き合いはなかった。移住してくるからには、町内の「お役」と呼ばれる役割も進んで引き受ける気持であった。もちろん、半分、不安もあったが。
「移住するということは、全部がゼロからのスタート。僕たちの方から率先して地域に入って、この地域に身を染めていくしかないという覚悟を持っていました。よそから来た僕らがこの地で商売を始めるわけなので、地域の皆様に認めてもらい、喜んでいただけるようにしたい」と河原さんは考えてきた。
古民家ダイナーは居酒屋なのでお酒の提供をしている。近所の方が飲み過ぎて失敗したりすることもたまにはある。そんな時、Tanaさんが「いい加減にしなさい」と怒ったりすることも。それでも、皆さん嫌味がないので、「昨日はごめんな」のひと言で終わり。自然にうまいこといってるそうだ。
「助け合いの中に人付き合いの全部があると思ってる。助けてもらったら、何かお返ししたいと思うし、そういうことが板に付きだしたと感じてます。ご年配の方が圧倒的に多いので、僕たちの力も頼りにしてもらえれば嬉しい」と、河原さんは常日頃から地域の皆様の何かお役に立てるよう考えているそうだ。
花祭が好きで移住してきたので、花祭の担い手に仲間入りさせてほしい。その思いが叶ったのは2019年。舞もやらせてもらったし、笛も教えてもらった。祭りの日も店を遅くまで営業しなくてはならなかったが、その後、朝まで祭りに参加した。でも、疲れは全く感じなかった。
「月」の魅力
移住前、河原さんたちがハイキングに訪れた際に手にしていたハンドブックには、ユニークな形の山の写真が載っていた。河原さんの心に刻まれたこの印象深い姿の山の名前は、御殿山。なんとこの家の裏手にあったのだ。特に紅葉するわけではないが、穏やかでとてもきれいなんだそう。
「この家に住んで働こうと決めた大きな理由の一つが御殿山の存在なんです。春は特にきれい。梅、花桃、ここは天国だよ。桃源郷ってこういうことかなって思う。ほんとに癒されています」と、河原さんは照れるように笑った。
ロックなイメージの河原さんから、少し意外な「桃源郷」なる言葉が飛び出した。
「(笑)ああ、そうですね。確かにそういう言葉は、前は使わなかったですね。心穏やかになってきたのかな? 名古屋に住んでいた時に比べると、今は、のびのびとやっています。自分の性格も開けてきたかもしれませんし、年齢も関係してるかもしれませんね」と河原さん。
もともとこの「月」という地域には飲食店はなかった。プレオープンのお披露目として、どんなお店なのかを分かってもらえればという気持ちで、地域の組の方をご招待した。近所の方は、お酒を手土産に参加してくださる方も多く、その温かさがとても嬉しかった。
ピンチがチャンス??
公共交通が乏しい山間地域でお酒を提供する飲食店の経営ということになると、気になるのは飲酒運転を絶対にさせないということこと。夫婦二人で切り盛りしているので、送迎サービスまでは出来ない。しかし、そこは工夫次第。お客さんが奥様に送迎してもらう場合は、奥様にクーポン券をお渡しすることもある。最近では、クーポンを渡す代わりに、Tanaさん手作りのスイーツを奥様のご機嫌伺いに買って帰るお客様が多い。「普通、居酒屋にそのようなスイーツは置いてないから、良いアイデアだね」とお父さんたちに大好評だ。
コロナ禍でお酒が提供できる時期は時短営業したが、アルコールはすべてダメとなった時点で休業。休業期間中は、やることリストにあげたものの、今までできていなかった片付けや畑づくりなどに精を出している。こんな風に逆転の発想でやりくりできているのも、従業員を雇っていないからであり、自ら食べ物を作り出しているからだ。
大変、だけど、HAPPY
「こちらに来て、収入はうんと下がりました (笑)。でも、やることは増えてます。街にいた時は、従業員に任せてた部分がたくさんあったけど、こちらに来てからは、一から全部自分でやってますからね。二人で助け合って家事もやらないといけないし、忙しくて明らかに大変になっているんですよ(笑)。だけど、心はhappyなんです」
人懐っこい笑顔で、河原さんはそう答えてくれた。
「頭や身体が元気だったら、なんでもできる。俺も90歳まで行けるぞって。名古屋にいると60歳ぐらいで死んでもいいかなって思うこともあったけど、こっちに来てガラッと変わりました(笑)。こっちだと80歳はまだまだ元気でバリバリの現役ですからね。僕らから見てもかっこいい。ここで暮らすスキルを全部持っているしね。自分もしっかりしないとかんなと思います」
やりたいことが溢れてくる
「生活するために好きじゃない仕事もやらなきゃいけない」と多くの人が考えている。その仕事に、一日の大半の時間を費やしてしまうっていうのは、もったいない」と自分に正直に生きることをはじめたお二人。次から次にやりたいことが浮かんできて、盛り上がってしまうそう。
河原さんは、移住してきた2017年に愛知県の募集した「なりわい実践者」に選出された。そこで三河山間地域での仕事(なりわい)づくりについて学んだ。ここでのつながりは、縦と横に広がりを見せている。
去年は、隣町の設楽町で実践者仲間からみそづくりを教わった。今年は、自分たちで、「大豆から栽培して、みそづくりをやろう!」と構想中。梅の木もいっぱいある。周りに自然がある限りやりたいことが自ずと湧いてくる。やりたいことに邁進中の河原さんご夫妻だ。
コロナ禍以前は、月に一度お店でライブを行っていた。名古屋でのバンドメンバーはもちろんのこと、豊橋や東京から他のバンドがセッションに参加することもあった。「こんな遠くまで」いう声が全く聞かれないどころか、むしろ、みんな東栄町をそれぞれに楽しんでくれていた。中には河原さん夫妻を追いかけるように移住してきた友人もいる。月猿虎ダイナーは、河原さん夫妻と同じように都会から東栄町やその周辺に移住した家族が、河原さん夫妻との会話を楽しみに足繫く食事に通うような、たまり場、交流の場にもなっている。広く東三河の若者のデートスポットにもなっている。河原さん夫妻が営む月猿虎ダイナーは、すっかり移住者にとって、いや、地元にとっても無くてはならない居場所になりつつある。
食事も音楽もお勧めなので、ぜひ一度訪れて、楽しさ溢れる会話とオリジナル料理の味を堪能して欲しい。