岡崎の森を未来へ ―
林業家・池野嘉昭さんの人生と挑戦
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幼少期から根付いた林業への憧れ
愛知県岡崎市で生まれ育った池野嘉昭さん。
祖父の代から続く林業家系の家庭で育ち、幼い頃から森と木に囲まれた暮らしが日常にあった。
山に入れば、倒れた木の上で遊び、父の大きな手に引かれながら伐採現場を見守った。
木の香り、チェーンソーの音、冬の凛とした空気。
それらすべてが幼少期の原風景であり、後の人生の道標となった。中学生の頃、父に「林業をやりたい」と相談したことがある。
しかし返ってきた言葉は厳しいものだった。
「林業は“生かさず殺さず”の仕事で、危険率が最もが高い仕事だ。やめた方がいい」
父は林業の危険さや経済的な厳しさを熟知していたからこそ、息子に別の道を選んでほしかったのだ。
消防士として過ごした8年間
父の言葉を受け、池野さんは公務員の道を選んだ。
岡崎市消防署に入庁し、半年間の消防学校を経て、火災現場や救急現場に立った。
厳しい訓練に耐え抜いた仲間との絆は強く、共に命を守る誇りがあった。
「消防士の勤務は並大抵の厳しさではなかった。それでも林業の仕事は想像以上の厳しさを感じた」
火災現場での緊迫感、深夜に呼び出される救急搬送。
市民の命を守る使命感とともに、身体も精神も削られる日々。
それでも、仲間と支え合い、市民の「ありがとう」に励まされながら8年間を走り抜けた。
しかしコロナ禍で家族と向き合う時間が増えたとき、池野さんは「自分が本当にやりたいことは何か」を改めて考え始めた。
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林業へ戻る決意
導き出した答えはやはり林業だった。
「誰かのためになる仕事をしたい。人だけじゃなく、生きとし生けるものすべてのためになれるのは林業だと思った」
再び父に願い出たが、「きついぞ、考え直せ」と突き返された。
それでも半年間頼み込み、ついに家業に入ることを許された。
林業の現場 ― 過酷さと誇り
林業に飛び込んだ最初の1か月で体重は10キロ減り、箸を持てないほど手が痛んだ。
炎天下では汗が滝のように流れ、冬は寒さで手足の感覚を失いながら伐採を続けた。
「お施主さんから必ず『ありがとう。』と言ってもらえる。それが嬉しい。」
危険と隣り合わせの重労働でありながら、伐った木や整えた山は目に見える成果として残り、その達成感が池野さんを支えている。

森をどう残すか ― 自然共生の取り組み
近年、企業や地域が地元の環境の大切さに改めて目を向け始め、多様性の回復に取り組んでいる。
その現場の一つに池野さんも関わっている。
「守るだけでは足りない。生物多様性をV字回復させようという動きがある。」
間伐によって光が差し込み、虫が増え、鳥や獣が戻ってくる。その循環を目の前で見られるのも、林業の醍醐味だ。
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師匠から学んだ伝統技術
効率的な作業だけでなく、池野商店では昔ながらの技術も大切にしている。
「刃を研ぐのに3年かかった。やっと一度だけ褒めてもらえました。」
刃研ぎ一つにも熟練の技が必要であり、職人の世界では「技術は盗むもの」と言われる。
効率化が進む現代にあっても、失われつつある技術を守り抜き、日本人の誇りとして次世代へ継承しようとしている。
家族との時間 ― 林業がもたらした暮らしの変化
公務員時代に結婚した池野さん。奥様は当初は林業への転身に強く反対した。
「公務員なら安定しているのに、なぜ危険な林業を?」
それでも池野さんの思いを聞き、最後には理解を示した。
現在は6歳と4歳の子ども、そして産まれたばかりの赤ちゃんがいる。
「夜帰れて、子どもとご飯を食べて一緒に寝られる。これ以上の幸せはない。」
消防士時代の不規則勤務では得られなかった、家族との温かな時間。
林業は危険もあるが、家族と共に暮らす喜びを与えてくれた。
学び続ける姿勢
現場の仕事に加え、通信制大学に通って美術や造園を学んでいる。
「大人になってからこんなに勉強する自分になると思わなかった。今は勉強してないとソワソワしてしまいます。」
伐採や植林といった実務に加え、歴史的な庭園や美術作品の知識を取り入れることで、森づくりに新たな視点を加えようとしている。
後輩の育成と未来展望
現在は後輩とともに現場を任される立場となった。
「広い視野や段取りがまだ足りないが、後輩を育てながら自分も学んでいきたい。」
5年後には自らの班を持ち、会社を拡大し、地域の林業を盛り上げたいと語る。
「岡崎の山を資源に変え、みんながwin-winになれる林業を作りたい。」
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終わりに
消防士から林業家へ。
危険な道を選びながらも、「ありがとう」の言葉と家族の笑顔に支えられ、池野嘉昭さんは歩みを続けている。
その姿は、森と人、そして未来を結ぶ架け橋となっている。


