山とともに生きる
熊谷卓也氏が語る林業の現在と展望
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愛知県新城市出身の熊谷卓也さんは、大学卒業後にスポーツクラブへ就職し、大阪での勤務経験を経て、現在は地元に戻り林業に従事している。
林業に携わって5年目を迎えた熊谷さんは、「まさか木を伐る人になるとは思っていなかった」と語る。
日々の作業の厳しさとやりがい、そして地域における林業の意義について話を伺った。
地元就業への強い志向
熊谷さんの就業動機の根底には「地元で働きたい」という強い意志があった。
「高校時代には特に外に出たいという気持ちはありませんでした。
大学進学で春日井市へ、さらに就職で大阪へ行きましたが、改めて地元の良さを実感しました」
都市部での生活は、人の多さや密な人間関係に戸惑いを覚える場面も多かったという。
その経験を経て、新城市での就業を模索していた際、市役所が催した雇用イベントで地域企業「株式会社 杉生」と出会った。
実家近くに役員宅があったこともあり、縁を感じて入社を決意した。
木材加工工場から伐採班へ ― 大きな転機
入社後、最初の2年間は木材加工工場に配属され、住宅建材の加工業務に携わった。
木材の個性に応じて加工する難しさを学んだが、木材加工の仕事は思った以上に繊細な作業だった。
その後、伐採班への異動を打診され、現場に立つこととなった。
「工場と伐採現場は、同じ会社でありながらまるで転職したような環境の変化でした」
チェーンソーを手にして初めて立木を伐り倒した際には強い緊張を覚えたという。
「伐倒時には木そのものが凶器となります。危険を伴いますが、やりがいも非常に大きい仕事です」
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自然と向き合う作業の厳しさ
林業は自然環境に直結する職務であり、その過酷さは想像を超える。
「夏は数歩歩いただけで体が重くなり、冬は寒さで涙が出たこともありました」
体力には自信があったはずが、思っていた以上に森林内の環境は厳しかった。
皆伐予定の伐採地は日陰がなく、空調服なしでは作業が困難である。
間伐作業の現場は多少日影があるものの、依然として体力と集中力を要求される。
「登山が趣味で2000〜3000メートル級の山に登ってきましたが、林業の日々は登山以上に厳しいものだと感じています」
それでも熊谷さんは、「自然に触れ合えること自体が大きな喜びです」と語る。

新設された林業事業部での挑戦
現在も熊谷さんは新たに組織された林業事業部の一員として活動している。
「まだ試行錯誤の段階ですが、仲間と一丸となって作業にあたっています」
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また、国の「緑の雇用」制度を通じて、県内の林業従事者と情報を交換する機会も得ている。
「同じ立場の人々の話を聞くことは非常に有意義です。危険回避や効率的な作業方法を共有できることで、自身の成長につながっています」
一方で、新たに組織された林業事業部には、大ベテランの指導者がいるものの、日々の作業において経験豊富な人材の不足を課題として挙げ、「求むベテラン」とも述べる。
地域社会を支える林業
林業を選んだもう一つの理由は、地域社会との結び付きにある。
「同級生の多くは豊川や豊橋に就職し、新城市に残っているのは2割程度です。新城市で仕事を見つけることは簡単ではありませんでした」
地域に根差した働き方を選択できる産業は限られている。その中で林業は重要な役割を果たしている。
「人口減少が進む中で、林業は地域社会に貢献できる産業の一つです。山を守ることが地元を守ることにつながると考えています」

林業の将来を見据えて
林業全体が抱える最大の課題は担い手不足である。
「従事者は減少傾向にあり、今後も厳しい状況が続くと思います」
しかし、木材価格が緩やかに上昇していることは希望材料である。
今後の展望と目標
今後の展望について、熊谷さんは「フォレストリーダー」の資格取得を目標としている。
「現場作業に加え、計画や管理を自ら担えるようになりたいと考えています」
将来的には、資産として活用可能な森林、土壌管理が行き届いた山林を増やしていきたいと語る。
熊谷さんは登山や筋力トレーニングを趣味とし、体力づくりにも余念がない。
「小学生から高校までバレーボールをしてきました。現在は筋トレに熱中しています」
富士山や仙丈ヶ岳への登山経験もあり、趣味で培った体力は日々の作業に直結している。
最後に、熊谷さんは将来の生活について「いずれは地元で家庭を築きたい」と述べた。
「林業は危険で厳しい仕事です。しかし、自然と触れ合いながら働けること自体が大きなやりがいです」
その言葉には、地域に根差して生きること、そして林業を通じて地域社会に貢献するという確かな覚悟が表れていた。
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インタビュー・執筆:佐治 真紀 撮影:中島かおる


