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あいち田舎暮らし応援団

あいちの山里暮らし人だより

~Michi~

Vol.42

100年後の未来に向けて楽しいプランを考えてみたい

森とともに生きる白井仁士さんの選んだ道

戦争と疎開から始まった林業の家系

愛知県岡崎市の山あいに位置する株式会社しらいは創業80年の製材所。

横に流れる男川は、幼い頃から夏になると毎日の遊び場だった。

その川の水は、以前に比べると、ものすごく減っていることに気がついたのは、いつ頃だったか。

文字通り、山と川に囲まれた製材所の三代目として日々山と木に向き合う白井仁士さんにお話を伺った。

 

祖父の代から

製材所のルーツは、終戦間際にさかのぼる。

祖父が静岡から疎開のために、現在の土地に移住。

松の根から油を採る計画でこの地に来たが、事業は実を結ばなかった。

戦後、木材の需要が増え、祖父は林業に転じた。材木の運搬に使うトラックを手に入れ、木材を扱い始めた。

しかし祖父が急逝し、白井さんの父は18歳の若さで家業を引き継ぐことになった。

 

「ばあちゃんがすごかったですよ。男勝りに山の入札に行ってた。父は18歳で、弟や妹もまだ学生。全部引っ張っていったのがばあちゃんでした」

 

「自然とここにたどり着いた」帰郷の理由

白井さん自身は岡崎市内の高校を経て、北海道の帯広畜産大学へと進学。

農業や畜産を学ぶ仲間たちと過ごした5年間は、自身の価値観を大きく揺さぶったという。

 

「みんな“生きること”と直結してた。農家も酪農家も、自分で食べるものを育ててた。冬に酔っぱらって凍死する人もいるぐらい、自然が厳しくて、逆に生かされてるって実感が強かった」

 

大学卒業後は岡崎に戻り、地元の自動車の部品メーカーに就職。ものづくりに惹かれて入社したが、次第に葛藤が生まれた。

 

「車好きだったけど、毎日同じ部品だけ作る。“効率”のために人間がロボットの一部になってるような感覚があって、ちょっと違和感が大きくなっていった」

 

その頃、父親が病気で体調を崩し始めた。

家族の将来や、故郷の環境変化を思う気持ちが重なり、30歳で家業を継ぐ決断する。

 

「理由は一つじゃない。でも今思えば、自然とここにたどり着いたって感覚が強いですね」

 

林業の世界でゼロからの出発

製材業は決して簡単ではなかった。最初の20年ほどは叔父と一緒に現場に出て、一から仕事を覚えた。

 

「伐採から配達まで全部やってました。すべての仕事に携わることができたのは良かったと思っています」

伐採から製材、配達まで、林業にまつわる仕事を一つひとつ積み重ね、50歳を前にようやく一人で製材所を回せるように。

業界は厳しく、ウッドショックなど外的要因にも左右される。

しかし今ようやく、自分の手応えを感じられるようになってきた。

 

「やっと“好き”って言えるようになった。木って、同じものがないし、奥が深い。まだまだですけど」

 

目に見える仕事を子どもたちへ

白井さんには3人の息子がいる。上の2人は成人し、末っ子は大学生になったばかり。

 

「直接“林業をやれ”とは言わないけど、“環境が大事だよな”って話はしています。大きな声じゃ言えないけど、願わくば、誰かがこの仕事を続けてくれたら嬉しいですね」

 

一方で、若者が林業を敬遠する背景にも理解を示す。収入面の不安、体力仕事への懸念、世間のイメージ。

 

「今は機械も進化してるし、昔ほどきつい作業ばかりじゃない。ベテランには軽作業を、若者には新しい役割を。みんなが何かしら“やることがある社会”がいいですよね」

実際に、白井さんの製材所では、リタイアしたシニアがパートで働いている。

お話を伺ってみた。

 

「週に3日ほど、働いています。薪ストーブユーザーなので、燃やすための端材が欲しくてきたけど、楽しく働いています」

 

環境と経済が矛盾しない生き方

白井さんの根底に流れるのは「自然との共生」というテーマだ。

 

「便利とか効率って言葉、よく考えると“手抜き”にも聞こえるんです。何かを削って早くした結果、中身がスカスカになってないかって。昔の家づくりは材木を天日乾燥させて、春に大工が建前を行い、餅投げをした。半年かけて土壁を塗り、乾かして、お彼岸の時期に板を貼って建てた。丸々2年かかってました。今は半年で家が建つけど、本当にそれでいいのかって」

 

大量生産・大量消費の社会の流れに違和感を抱きながら、地域に根ざし、自然とともに暮らす価値を丁寧に伝える。

 

「昔みたいに“物々交換”に戻れとは言わない。でも、衣食住がちゃんと見える社会のほうが、人間らしくないですか?」

 

小さな循環を大切に

現在は地域の工務店や仲間たちと連携しながら、材の活用や、地域内完結型の製材の流れを模索中だ。

 

「うちは水源の近くにあるし、山から海までの距離も短い。山を守って、川を守って、流れの中で製材して、その木が家に使われる。結果が見えるのがうれしいですね」

 

地域のイベントや祭りも積極的に手伝う。人手が減る中、自分たちが企画し、準備し、盛り上げる役割を担っている。

 

「しんどいけど、楽しい。隣の人と笑い合いながら、昔話をして、また次の世代につなげていく。それがこの仕事の意味でもあると思ってます」

 

生きることが面白くなる

白井さんは語る。

 

「やりたくてやってたんだなって、最近ようやく気づきました。“生きる”って言葉、当たり前のようでいて、結構奥が深い。川の変化、木の感触、子どもたちの笑顔。そういうの全部ひっくるめて、生活だなって」

 

学生だった頃、従業員の女性に「仁士くんは、興味なさそうに耳を塞いで工場を通り抜けてくね」と言われたことがあるそうだ。

相変わらず、川の水量は減ったままだし、気温も昔のそれとは比べ物にならないぐらい暑い日が増えた。

1年2年の時間軸ではなく、50年100年単位で、ものごとを考えなくてはいけない。

白井さんの言葉には、今の社会を見つめ直すヒントが詰まっている。

すぐには変わらないかもしれない。

けれど、山のように時間をかけて少しずつ根を張る、そんな考え方こそが、これからの時代に必要なのかもしれない。

 

 

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インタビュー・執筆:佐治 真紀  撮影:中島かおる

Information

株式会社しらい

〒444-3611 岡崎市宮崎町字清水沢西8-1

TEL:0564-83-2306

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