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あいち田舎暮らし応援団

あいちの山里暮らし人だより

~Michi~

Vol.41

楽しくなる余地は、まだまだある

~緑のふるさと協力隊を経て、村内企業に就職した益子さんのこれから~

 

「地域おこし協力隊」という取り組みを耳にしたこのとある方は多いはずだ。

その事業のモデルになった「緑のふるさと協力隊」という取り組みがあるのをご存じだろうか?

 

1994年にスタートした「緑のふるさと協力隊」事業は、過疎化・少子化に悩みながらも地域を元気にしたい地方自治体と、農山村での活動や暮らしに関心をもつ若者をつなげるプログラムだ。

 

2023年度、愛知県北設楽郡豊根村に緑のふるさと協力隊として赴任し、任期終了後、村内の企業に就職した益子茜さんにお話を伺った。

益子さんは、小学校から高校まで横浜市で育った。高校卒業後は、母親の仕事に触発され、栄養の勉強をした。

 

「忙しかったけど、やりがいはあったし、やりたいこともやらせてもらってたので、あの経験はすごく良かったかなと思ってます。」

 

同じ会社の中で、病院に5年間と、特別養護老人施設に1年間勤務した。

 

「栄養士という資格は1回取得すればなくなるものではないので、今はちょっと離れてますけど、ゆくゆくはまた、役に立てばいいなと考えています。」

 

6年経った頃、ふと我に返ると、知らず知らずのうちに自分の生活を犠牲にして働いていることに気がついた。

「26才になる年だったので、周りの人も、人生の変化があったりする時期で、ちょっと焦りもあったのかなと思います。」

 

辞めて、何をしよう、と考えた。

実家の近くの東京都や神奈川県内で一人暮らしも想像したが、イメージが湧かなかった。

そんな時、求人サイトで緑のふるさと協力隊の募集を偶然見つけた。

家賃の補助がでるし、車も貸してもらえる。水道光熱費も出ると記事に書いてあった。

 

「楽しそうだし、1年間だけだからやってみようかなと。人生経験としてこういうのもいいかなと思いました。決断したのは意外と早かったと思います。」

 

応募し派遣が決まると、事前研修が行われた。

 

「派遣されるまで数ヶ月間あったんですけど、その間に派遣先には行かないでくださいという通知が来ました。それまで一度も愛知県に遊びに来たことはありませんでした。」

 

豊根村についてインターネットで調べても、観光情報は掲載されているが、普段の暮らしのことなど、全く様子がわからなかった。

赴任当日は最寄りの東栄町の駅まで、役場の担当者が車で迎えに来てくれた。そこからが長くてもう一度驚いたという。

 

「祖父母の家が宮城県にあり、田舎というと、畑と田んぼがまっ平らに続いてるようなイメージを持っていたので、山が眼前に迫る豊根村の風景には、驚きました。」

 

赴任してからは、どういう心構えで取り組めばいいのか、とても悩んだという。

同時に、受け入れ側の気持ちも想像してみた。

初心者の、何も知らない若者を受け入れるとは、どういう気持ちなんだろうと。

半年ぐらいは、頭の中でぐるぐる、考えながら活動していた。

 

「地域にとって、私はお客さんなのか?活動の内容はどこまで求められてるのか?そこら辺がよくつかめずにいました。」

すぐ夏がやってきた。

とよねチャレンジラボ「そらのいえ」で畑を耕したり、いろんなイベントのお手伝いをしたり、農作業から林業など多岐にわたる内容に取り組んだ。

 

「初めてのことばかりなので、楽しかったしすごく勉強になりました。」

 

秋を過ぎたあたりから、次年度以降も豊根村に残ろうかと考え始めた。

ただ仕事と、住む家がなかなか見つからず、迷っていた。

これまでの経験は、1年で終わらせるには、もったいないなと思ったし、1年間でやりきれなかったことや、もっとやってみたいことが次々に湧いてきた。

そんな悩みを、地元の方に相談したら、「うちで働かないか」と逆に提案を受けた。

 

豊根村には、中学校にかつてあった吹奏楽部のOBOGらが中心となり楽団を作って活動している。

益子さんも学生時代に吹奏楽に親しんでいた縁で、豊根村の楽団にも参加している。

そこで知り合った方が、村内で建設業を営んでいて、お声がけくださったのだ。

 

「業種としては今まで私がやってきたこととは異なるのですが、それでも、とお誘いくださったので、これは、新しいことをするチャンスなのかなと思って、その会社で働くことにしました。」

具体的な仕事としては、修繕とか草刈りとか、空き家の見回りとか、ちょっとした家の困りごとを提供するサービスを担当している。

前任者が離れられてから、しばらくサービスが活発に提供できていなかったらしいが、緑の協力隊として、村内に広い人脈を築いた益子さんの様子を見ての大抜擢だった。今では、そのサービスに加えて、施工管理の補助、といったいわゆる建設業としての仕事も任されるようになってきた。

 

「栄養士の仕事とは、全く異なる仕事ですが、一つ共通点があるとすれば、給食の仕事も、建物の工事に関わる仕事も、どちらも1人ではできない仕事なので、たくさんの人が関わってます。そういった意味では似てるのかなって思いました。」

 

今は施工管理に必要な資格の取得に向けて勉強しているそうだ。

自分自身は不器用だと益子さんは謙遜する。

むしろ各々の特技を生かせるような、まとめる仕事が向いてるのかもしれない、とここにきて気がついた。

 

 緑の協力隊になると言ったときは、友人らに驚かれたという。

1年間で帰ってくるんだよねと、皆に心配された。でも、1年経って村内に留まることを決め就職もした。

 

「今は友人らには、すごく楽しそうって言われます。自分も時間があればやりたいって言う人が多かったのはびっくりしています。意外と皆、そういうことを考えてるんだと思います。」

 

さすがに親御さんは心配しているのでは、と尋ねてみたら、Instagramに活動報告の投稿を載せているので、それを見て、楽しくやっていることを感じ取ってくれているそうだ。最初の頃は頻繁にかかってきた電話も、そういえば少なくなっていた。

 

 「横浜と豊根村では、人との距離感が違うかなと思います。横浜はたくさん人がいるけど、でも、毎日職場の人と家族以外の人と会うことはあまりない。豊根村は狭いけど、出会った人数はすごく多かったと思います。」

 

大勢の人と一緒に仕事をするとか、人を支える仕事のやりがいに気がついた益子さんは、今後は、新しくリニューアルオープンする「そらのいえ」のカフェを応援したいと考えている。

 

「今までの経験が、何か役に立てばいいなとは思ってますが、今は資格取得という目標もあるので、それに向けて取り組みます。仕事の内容的にも空き家、住宅関係の仕事もあるので、今の仕事を頑張ればゆくゆく繋がる部分もあるのかなと思っています。」

 

豊根村に来て、初めて一人暮らしをして、誰かと一緒にご飯を食べることの楽しさに気がついた。

村の方に誘っていただいた食事会がとても楽しかったという。これからは自分が誘う側になれたら、と考えている。

 

「移住者同士の交流ももっと活発になったら嬉しいし、楽しくなる余地はまだまだあると思います。」

 

いっぱい楽しい種が落ちてる感じですね。

穏やかに微笑みながら、そう教えてくれた。

 

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インタビュー・執筆:佐治 真紀  撮影:中島かおる

 

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