「もともと開拓者魂がある地域。でも人手が欲しいです」
「百姓」と名乗る小川さんが目指す、この地での生き方
交換した名刺の肩書の欄に「百姓」と書いてあった。
「百姓」の文字を見て、多くの方は「農業の人」を思い浮かべるのではないだろうか。
しかし、読んで字のごとく、百の姓を持つ人なのだ。
農業をする小川さん、林業をする小川さん、キノコを育てる小川さん、まちづくりに参画する小川さん…。
山百合荘豊邦直売所の小川晃徳さんにお話を伺った。
設楽町は、「森の女王」と呼ばれるブナを町の木とし、愛知県最大の原生林を擁している。
小川さんはここで生まれ、中学校まで過ごした。
東三河の高校を卒業後、岐阜の大学に進学し、経済学の分野でコミュニティ福祉について学んだ。
新しく創設された学部で、社会でも「自助・共助・公助」という言葉が取り上げられるようになった時だった。
「いつかは設楽町に戻ってきたいと思っていました。こっちには仕事がないぞって思っていたので、福祉関係だったら仕事はあるんじゃないか、と漠然と考えていました」。
親族が福祉の仕事をしていたので、イメージは持っていたが、「福祉」だけに限定するのではなく、もっと広い分野について学んでみたいと進学した。
「まちづくりのゼミに入って、 高齢者福祉だけじゃなく、商店街の問題だとか、様々なテーマの勉強をしました。学んだ中で特にまちづくりが面白いな、と感じました」。
大学卒業後、街の一般企業で仕事をした。
実際に福祉の現場で働いたりもして、25歳で設楽町に帰郷。森林組合の仕事を紹介され丸9年働いた。
「木を伐ることは幼い頃から身近なことでした。この店に使ってある木材は、全部うちの山から出してきたものです。祖父もやってましたし、自分も手伝いましたよ。中学校の頃でしたね」。
幼い頃から毎日の生活の中で、お店や裏手にある鳥の飼育小屋を建てるなど、小川さんは父親に言われるままに様々な作業の手伝いをしていた。
作業の手伝いは苦痛ではなく、むしろ楽しいことだったという。気がつかないうちに、森で生きる術を身に付けていた。
山百合荘豊邦直売所は、小川さんのお父様がスタートしたお店だ。
「始めたのが今から22年前です。父も地域で何かやりたいと考えていて、地元産の野菜を紹介しつつ、それだけでは、売上が心許ないので、うどんやそばを売ろうと、始めたそうです」。
「父の代から、起業家のマインドはあったかもしれませんね。」
元々、この集落自体が江戸時代に、天領から割譲されて、開拓されてできた集落という。
「300年ぐらい前に、田峯地区から移住してきたと聞いています。実際、自分たちで集落を作ってきたと思ってる人は多いと思いますよ」。
木を伐ることや使うことが生活の一部であった小川さんだが、さすがに木材の販売や森林の経営全てを知っているわけではなかった。
「森林組合に入った時、この木を伐ったらいったい、いくらになるのか、など全く知らない分野でしたから、それを学べたのが大きかったですね。それに、山主さんの想いを直にお聞きすることが出来たことはとても勉強になりました」。
小川さんの中で、山はこれからの時代、無価値なものになっていくんじゃないかという、不安があったそうだ。
森林組合在職中、地籍調査の担当をした。
大規模な山主さんは別にして、小規模な山主さんの中には、「自分の家の所有する山がどこかわからない」という方もいた。
確認のために山に視察に来ることすら嫌がる方もいたという。
小川さんらは、山を歩いて調査して、山の境界を確定し、杭を打ち、測量した。
地籍調査を愛知県の山で初めてやったのが設楽町津具地区だという。
その時の経験等を乞われて、現在、設楽町の地域林政アドバイザーを担当されている。
林政アドバイザーとは、森林の事業計画を策定するためのアドバイスをしたり、管理する山の調査をしたりするなど、長期的に地域の森林に関わっていく仕事である。
10年近く働いた森林組合を辞したのは、自分がこの店のことや、増えていく耕作放棄地を目の当たりにしたからという。
「立場を変えて、しいたけ生産しながら、山の問題を考えたいと思ったからです」。
現在では、しいたけ農家として山でしいたけを作りながら、地域林政アドバイザーを担い、猟友会の事務局の仕事を引き受けるなど、活動は多岐にわたっている。
「どこにでもいるねって言われます(笑)。設楽町のあれこれをさせていただき、ありがたいことです。でも正直1人でやれることって限界あるなと感じてます」。
しいたけの生産についていえば、設楽町内でも栽培者がどんどん減っていて、生産量が年々減少し、厳しい状況だという。
生産者が踏ん張らないと、出汁の文化にも影響が出てくるのはと危惧している。
「うちでは、春に菌打ち体験会をやっています。しいたけオーナー制度もやっています。菌打ちが上手にできるようになったら、バイトとして頼みたい人は居るかもしれませんね」。と小川さんは笑う。
「しいたけ栽培を辞めようと考えている高齢者の手伝いに入ってくれたら、もう一年続けようって言ってくれるかもしれないですね」。
しいたけ栽培の中で、大変な作業は、「山あげ」の作業だ。伐採したほだ木を伏せ場に持っていき、それを桟積みする作業が一番きついという。裏山にある小川さんの伏せ場をみせていただいた。
「人手が欲しいですね。1人でやっているとしんどいですよ。そんな時に、ちょっと手伝ってほしい。ここを押さえていて、とか、これ1本運んでという感じ」。
一緒に作業してくれる人が1人いるだけで効率が大きく変わってくるそうだ。
「自分1人でやれることには限界あると感じているので、みんなを巻き込めるといいなって思っています。近くにゲストハウスがあるので、そこに泊まって、ここでワークショップやったりできたらいいなと考えています」。
小川さんは、地域外の人たちにも関わってもらえる仕組みを作ることが大切だと感じている。
「気軽に来れる場所にしていきたいと思います。今も、バイクや自転車が店の前を通る際に、多くの方が立ち寄ってくれるので、これからは、1日過ごしてもらえるような取り組みを創り出していきたいですね」。
家の隣に小さな滝がある、そんな自然豊かな場所で育った小川さん。幼い頃から培った生きる力に加えて、各方面での学びを力に変えて、この地で、百のなりわいを生み出そうとしている。
*****************************
インタビュー・執筆:佐治 真紀 撮影:中島かおる