「伐業」
~林業と造園の真ん中を行く~
「伐業」という言葉をお聴きになったことがあるだろうか?
無いはずだ。なぜなら、この言葉は空一伐業の佐藤圭介さんによる造語だからだ。
木を伐るという仕事に、「伐業」と名付けた佐藤さんの想いを伺った。
「伐業」とは
全国の紅葉スポットとして名高い豊田市足助町。名古屋から猿投グリーンロードを抜けて、国道153号線で足助に向かう途中に、空一伐業の事務所がある。
最初に、「伐業」の由来を聞いてみた。
「要は、伐採業ですね。
林業とは言えないというか、造園業とも違うし、わかりやすく言うと、林業と造園の真ん中を行くっていうのが、一番わかってもらいやすいと思います」。
林業とは、木の育成に関わり伐採し木の搬出を仕事とする。
佐藤さんは、もちろんそのような仕事もするが、メインは、「伐る」ことなのだ。
木は本来、どこに育っていてもいい。
しかし、人間の生活に支障をきたす場合に限り、縮めるなり伐倒するのが、佐藤さんの仕事だ。
具体的には、お寺や都市公園の木などの伐採の依頼が多い。
民家の屋根に掛かる場合や、工場や学校などからの依頼もある。
最近では、危険な倒木、落ち葉問題、日陰問題もあり、街中の街路樹の伐採の仕事も多いという。
「仕事場所はこの地域にとどまらないですね。隣の県ぐらいまでは行きます。
長野、岐阜、静岡までは行きますね。もっと遠くの福井県や広島県からもお声がかかるんですが、さすがに移動が大変なので、東海地方の仕事だけお引き受けしています」。
「俺、何もない」って思ってた
佐藤さんは岡崎市で生まれ、幼い時に足助町にある母方の実家に引っ越してきた。地元の高校卒業後すぐに就職した。
「就職したんですけど、やっぱ違うなと思って、すぐ祖父の仕事を手伝おうと思いました」
お祖父様は、林業に従事していた。
「周りの友人たちは、自動車関連会社のサラリーマンになってました。お前、頭おかしいんじゃないの?って言われましたね」。
3年ほど祖父の元で働き、少し別の角度から木のことを学んでみたくなり、造園会社に就職した。
「いろんなことをやる会社で、その会社も厳しかったんですね。
やってるうちにあれもこれも楽しいけど、一生やっていくなら、「木を伐る」という仕事一本にしようと思いました。24歳ぐらいかな」。
決して器用なタイプではない、と自分では分析している。
「おれ、何もないなって、思っていて。でもたまたまハマったんですね。木を伐ることが」。
造園会社を辞め森林組合に就職した。
「祖父はもう林業を辞めていたので、豊田森林組合で9年働きました。
林業の世界を知るには、森林組合に入って正解でした。在職中に色々な仕事をさせてもらって、名前を知ってもらえたのは良かったです」。
感動する技術に出会う
伐採班として、ひたすら間伐した。
アボリカルチャーと呼ばれる特殊伐採技術が広まる時期で、一番最初に講習を受ける機会に恵まれた。
「これ、自分に向いているかもって思いました。
そもそも木に登って木を伐るということは、祖父に習って19歳の頃からやってました。
まあ、昔ながらの方法でしたが。講習で、長野県の吉見次郎先生のロープ技術に出会って、あまりに感動してすぐ先生にお礼の手紙を書きました」。
翌日には、何十万円とする道具を全部買い揃えた。佐藤さん曰く「ひっくり返るぐらい画期的なロープ技術」なのだ。
「安全だし、今まで到達することが難しかった木の先端にも行けるし」
未だに大きな事故を起こしたことがないのは、この時に培った技術があるからだと言う。
円満に独立させてもらい、2014年に空一伐業を創業した。
「僕らがやり始めだったんですよ。だから最初に変なことをしたり、失敗したら悪い影響になると思い、気をつけてやってきました。
すごいことやってんだぞ、とひけらかすのではなく、丁寧な仕事を心がける。特殊伐採はあくまで作業の方法の1つです」。
誠実な仕事が良い噂となって広がり、営業活動をしなくても仕事が途切れることが無いという。
「地元出身というのは大きかったですね。
応援してくれる人もいるし、この地区に同級生がいるので、よくしてくれてますね。
地元のお付き合いしたり、お祭りに参加したり、消防団やったりしてよかったなって思います」。
スタートから10年
1人で始めた空一伐業。今では6人のチームで仕事をしている。22歳、24歳の若手も所属しているという。
「22歳は高校を卒業してすぐに、24歳は大学を卒業後うちに来ました。
彼の自宅の裏山の木を僕が伐っているのを見ていて、うちに入りたい、と」。
空一伐業では、佐藤さん自身が毎月従業員一人一人と面談して、会社の経営状態を従業員に全部オープンにしているという。
逆に従業員に悩みがあるのなら、社長本人に言いにくいこともあるかもしれないことを想定し、お世話になっている士業の先生らにいつでも相談できる体制が出来ているという。
「目標を書いてその達成具合を確認しながら、毎月もう辞めますか?って聞いています。それでもやりたいっていうメンバーだけ残してます」。
「お客様に失礼があってはいけないし、常に高い気持ちでやらないといけない仕事なので。仕事には厳しいですよ」。
時代に合った働き方を
休日も重視している。
休みたい時はいくらでも休んでよいシステムだ。
頑張ってやればその分給料に反映するし、会社に貢献しなかったら評価も下がるということは、予め伝えてある。
従業員の雇い入れに関しては、佐藤さん一人の意見で決めることはないそうだ。
「即決は絶対しないです。本人には再考を促し、試用期間として3ヶ月一緒に仕事をして、仲間たちが嫌と言ったら、入社は認めない。
社長が勝手に決めて入れたんでしょ、と言われるのは嫌なので。一緒にやれると思えたら残します。今いる従業員の方が大事だから」。
このようなマネジメントスタイルは、本から知識を得ているという。
「全て本からの知識ですね。それ以上に漫画が大好きです。
スーパーヒーローのいいところ、リーダー論が、どの漫画や本にもあるじゃないですか。
良いところだけをすくい取って、自分なりにしたらこんな感じになりました。
あまりに仕事が楽しくてうまくいってるので、贅沢だなと思ってます。仕事以外は、何もいらないって思いますね」。
佐藤さん自身、18歳から一日も欠かさず手帳を付けているという。
「良いと思ったこと、ラジオで聴いて心に残った言葉、全て書き出して印刷して読み返しています」。
近い将来、10人体制を目指しているという。
「今いる従業員に、部下を付けてやりたいんですよ。そうしないと本人も伸びないので。
従業員も、何年かしたら、辞めるなり独立したりすると思うので。次々と人が入ってこない会社は、時代についていけなくなると思うんで」。
若い頃は、野球やサッカーやバドミントン、カメラに親しんでいたという。
しかし仕事一本で行こうと決めた時、それらの趣味はすっぱり辞めた。
「仕事に支障が出るので、絶対ケガしたくないんで」。
「今、香嵐渓の山も、毎年ずっと管理をやらせてもらってます。
今週金曜日、いろんな会社の人とみんなで歩いて、この木を切った方がいい、残しておいた方がいい、という話し合いを、樹木医さんやいろんな人と相談してやってます。すごい楽しいですよ」。
年を重ね、山の大切さをもっと色々な人に伝える役割に気づいたと話す。
「山はみんなのものって考えるのが一番いいんじゃないですか?」
「伐る」の次に、どんな言葉を想い浮かべているのだろう。
*****************************
インタビュー・執筆:佐治 真紀 撮影:中島かおる