「1つ1つ違うから面白い」
林業に生きる高田佳宏さんの20年
森林組合の作業班の中で最年長とは思えないほど、フラットで親しみやすい雰囲気を持つ高田佳宏さん。
東栄町森林組合で伐採を担うようになるまでに、20代は想像するのも痛々しいほどの大変な苦労があった。
移住の経緯と、今後の目標などのお話を伺った。
「大工になろう」ものづくりの原点を思い出した瞬間
高田さんは名古屋市名東区で生まれ育つ。
小さな頃から物作りが好きで、特に絵を描くことに興味があった。
デザインに近いということから、工芸高校の印刷科へ進学し、そのまま印刷会社へ就職。
満員のバスや電車を乗り継ぎ、夜11時まで仕事をして終電で帰宅する毎日だった。
夢中になって仕事をしていた2年後、印刷業界に激震が走る。
「MacやWindowsが出てきて、印刷業界も変わったんですよね。
今でも覚えているんですけど、地下鉄の終電間際にぼーっと立って、このままでいいのかなと思って」
日の光も浴びず、体力も減っていく職場環境にも疑問があった。
「その時、あっ、大工になろうって思って」
祖父が大工だったこともあり、昔から憧れていた仕事だった。
物作りに対する情熱が思い出され、何かを生み出すことへの好奇心がうずいた夜だった。
名古屋での大工修行のスタート
高校時代の先輩や先生などに相談し、紹介により名古屋で大工修行をスタートする。
しかし、最初の1年間は掃除ばかり、道具も触れることもなく、毎日怒鳴られてばかりの厳しい環境だった。
「尺も寸もわかんない人間だったんで。
本当に1からの大工で、道具の名前すらも知らない。忍ばせた手帳にちょこちょこメモして、覚えていく感じでした」
1年経ってようやく、下地材を手ノコで切ることが許された。
喜んだのも束の間、さらなる大きな試練が、高田さんを襲った。
20代の苦悩と再生
最初の苦難は、大工仕事中に屋根から落ち、背骨を骨折したことだった。
さらに作業中に急に視界に異変を感じ、病院に行くと網膜剥離と診断された。まだたった23歳、持病のアトピー性皮膚炎が原因だった。
その後、大工や建築金物など職場をいくつか変えるも、アトピー性皮膚炎はどんどん重篤化、目は悪化のたびに、10回近く手術を繰り返し、心身ともに疲弊していった。
憧れの大工仕事も、粉塵が体全体に降り注ぐため、目にとっても良い環境とは言えなかった。
「20代の頃は本当に辛かったですね。今は親に感謝してるけど、自分も相当ひどいことを親には言いましたし、親も泣いたのを覚えてます」
苦しい毎日で紆余曲折の末、全く違う角度から、高田さんは導かれるように次なるご縁に出会うことになる。
試練を超えた先に見つけた新しい道
体調に苦しむ最中、東栄町はいい町だ、お前も来い、としつこく誘ってくる友人がいた。
根負けして一度遊びに行くことにした先で、当時森林組合で働いていた方と出会う。
これが後に、人生を変える出会いとなった。
東栄町に遊びに行った1年後、度重なるアトピー性皮膚炎と目の不調により限界に達した時、とうえい温泉がアトピーに良い、という話を聞いた。
すぐに森林組合の方を思い出し、電話をかけた。
「今から行っていいですか?」という急なお願いを、即了承してくれた。
その日から名古屋を離れ、東栄町での療養が始まった。
療養して3ヶ月、アトピー性皮膚炎はみるみるうちに落ち着き、心身ともに調子が安定していくことが実感できた。
林業への転身
3ヶ月の療養期間を経て大工の現場に戻ると、粉塵で顔が真っ赤になり、すぐに病院に向かうことになった。
これをきっかけに、退職と移住を決意した。
移住を決めると同時に、森林組合の方から山仕事を一緒にやるか、と声をかけていただき、林業に従事することになった。
実家でそのことを家族に話すと、祖母から思わぬ事実を知らされる。
「実はひいお爺さんが、木こりだったんですよ。不思議な巡り合わせというか、縁というか…ご先祖さんがやれって言っとんのかなと思いましたね」
運命に、そっと背中を押されている気がした。
こうして導かれるようにして、高田さんは林業に就いた。
やって深まる、林業の面白み
(高田さんからお借りした写真)
就職後、最初は下草刈りからスタートし、徐々に伐採作業を任されるようになった。
「主に夏は草を刈って、冬は木を伐って…季節によって仕事が変わるんで面白いですね。
山もそれぞれ一山一山ごとに違うし、木も違うじゃないですか。飽きないですよね、全然」
それだけではない。
大工として木材を捉えてきた経験が、木を切ることの面白さを引き立てた。
「木材を元々扱ってた人間が原点に帰って面白いなと思って。大工の知識が林業でもすごく生かされました。尺も寸も同じなんですよね、当たり前ですけど(笑)それに、この木材が何に使われるか、把握できるようになって。梁だったら寸目でとか、木の名前もわかるし。全てが繋がってるなと思いました」
大工で修行したことを、林業の現場で生かすことが出来て、知識が知恵に変わっていく手ごたえを感じた。
数年前、東栄町で伐った木が名古屋市内の幼稚園の一部に使用され、そこに招待されたことがある。自分の伐った木が活かされている様子を見るのは、なんとも嬉しく誇らしいことだ。
(高田さんからお借りした写真)
後輩を見守り、育て手へ
森林組合では最年長の高田さん。今後、目指すところはあるのだろうか。
「林業は難しい仕事だと僕は思うんです。だって、木は一本一本違うから。
だからずっと勉強ですね。あとは、技術を後輩たちに繋げていきたいです。
自分のできる範囲ですけど、若い子たちの技術指導も役目かなと思っています」
自然の中で仕事をするというのは居心地が良い、と語る高田さん。
丁寧に、しかし時には厳しく指導するが、チーム全体の雰囲気はとても和やかで、新人たちも着実に成長している様子だ。
「僕も色々な先輩方や森林組合のフォローのおかげで、仕事が続けられたと思っています。今どきの後輩はよく動くんですよ。
まだまだ自分も頑張らないとって思います」
毎日後輩から刺激を貰いながら、更なる自己研鑽に励んでいる。
昔、大工仕事で厳しくも温かい教えを受けてきたからこそ、人材育成の大切さは身に染みている。
林業の現場でも先輩から背中で教えていただいてきた。今度は、自分がしっかりと後輩を育てる番だ。
アトピーとの辛い経験が、今の職場に導いてくれた。
高田さんはこれからも温かく後輩たちを育て、見守っていく。
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インタビュー・執筆:白井美里 撮影:木浦 幸加