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あいち田舎暮らし応援団

あいちの山里暮らし人だより

~Michi~

Vol.30

音楽とエンタメで賑わいを。田舎と若者をつなぐきっかけになりたい

祖父母の住んでいた家と土地をキャンプ場にし、まちを盛り上げたい!

名古屋でライブハウスを経営していた、シンガーソングライターの村松久暢さん(活動名 青春ひとりぼっち)は、2022年11月、豊根村に移住してきた。祖父母の住んでいた家と土地をキャンプ場にし、自身が愛する音楽を軸に、まちを盛り上げていくつもりだ。豊根村に住み始めて半年が過ぎ、湧き上がる想いと今の葛藤を聞いた。

 

 

 

コロナ禍で音楽活動難しく…。移住のタイミングだ!

 

村松さんにとって豊根村は「おじいちゃんおばあちゃんのいる田舎」だった。父親の出身地であり、村松さん自身は豊根村に住んだことはない。子どもの頃は夏休みや冬休みになると、家族が集まり、楽しいひと時を過ごした。

「いつか自分がここに住むとは全く思っていなかったですね」。

 

 

そんな村松さんの暮らしを一変させたのが、新型コロナウイルスの流行だった。村松さんが自身で創り育ててきた、名古屋の小さなライブハウスへの風当たりは強かった。

 

「声を上げて盛り上がるような場所はクラスターが発生しやすいと、ろくにライブもできなくなりました」。

 

大切にしてきた場所がみるみるしぼんでいくのを見ながら、村松さんは豊根村のことを思い出していた。祖父母が住んでいた家は空き家になり、15年ほどが経っていた。

「子どもの頃に皆で集まった家がただ古くなっていくのは、何となく淋しかったんですよね」。

これは人生の大きなタイミングかもしれないと、名古屋のライブハウスを畳み2022年11月、豊根村へやってきたのだった。

「コロナが無かったら、移住はしていなかったかもしれないですね。僕の人生にとって、大きな転機になりました」。

 

何でも自分の手でやっちゃう!が楽しい田舎ぐらし

 

「村に来て、生活は180度変わりましたね。それをめちゃくちゃ楽しんでます」と村松さん。朝起きて、畑を耕し、自分で作った昼ご飯を食べて、また無心に草を刈る。川を眺めて、暇になったら散歩して、歩いていたら蛇に会い…、そんな毎日を送っている。

 

「最近はカブトムシも育てているし、蜂蜜も始めました。いろんなことが初めてで分からないんだけど、村の人って全部自分でやっちゃうんですよね。だから触れ合って、ひとつひとつ教えてもらって、僕もできるようになっていく。それが楽しくて…」。

 

村の夜は早い。名古屋のような明かりもない。その代わりにここでは、満天の星空が見られる。蛍もいる。いわゆるエンターテインメントはなく、遊ぶ場所も用意されてはいない。けれど、あるがままの自然が存在している。都会で暮らしていたからこそ、エンタメが生み出すエネルギーも知る村松さんは、この豊かな自然の中にエンタメを融合させたいと考えている。村松さんにとってエンタメとはずばり、音楽だ。

 

 

おっさんが歌うラブソング

 

取材時、「長いので間違えずに書いてくださいね」と村松さんが教えてくれた自身の肩書は、確かに長かった…。

 

「青春系ラブポップスシンガーソングライター金髪田舎暮らしキャンプ場おじさん」。

 

最後にちゃんと「田舎暮らし」が入っているあたり、この村を盛り上げていきたいという想いを感じさせる。

 

村松さんが音楽に夢中になったのは、高校生の頃。ギター1本で熱く歌う長渕剛があこがれだった。自身もギターを買ってかき鳴らしてはいたが、音楽に本格的に取り組むことにしたのは、30歳を過ぎた頃。「まぁ、縁とタイミングですね」とライブハウスを持った経緯を語る。人との縁や出会いを大切にしているのだろう。

 

豊根村にやってきて、今は道の駅やまちのイベントで歌っているそうだ。

 

「おっさんが歌うラブソング。どこかで村の人の心に響けば嬉しいし、小さなところから発信していければと思っています」

 

祖父母の家と土地生かし、キャンプ場を

 

 

コロナ禍以降、キャンプを楽しむ人たちが増えた。村松さん自身も自然が好きで、よくキャンプに出掛けていた。豊根村の祖父母の家に移住してきた時、家と周りの土地を生かして何かできないかと、村松さんは考えた。

 

「この家を守りながら、田舎暮らしがしたいと思っていました。さて、何ができるだろう。あるものを生かして生活していくという視点で考えた時に、キャンプ場だと思ったんです」。

 

それまでの村松さんにとって、キャンプは自然と触れ合うことができ、ひとりの時間を楽しめるもの。豊根村暮らしとなった今も、それこそが田舎暮らしの醍醐味だと感じている。だから自分の手で場を作り、都会の人たちを迎えたい。

 

「キャンプ場には今、岡崎や豊橋などからお客さんが来てくださっています。水道を引かなかったので多少不便はかけるけど、その分低価格で、気軽に泊まりに来てもらえると思います。何よりこの村の星空を、見に来て欲しいですね」。

 

「豊根村のうた」制作にチャレンジ

 (村松さん提供)

 

「今、僕が一番力を入れているのはですね、豊根村のうたを作ることなんです」、そう言って村松さんは1曲のCDを流してくれた。豊根村で、ワクワクすることを、若い力でみんなで楽しもう!という想いで「TOYONE WAKUWAKU PROJECT」を立ち上げ、その取り組みとして「豊根村の歌」制作が昨年9月に始まったのだ。

 

作詞作曲は、豊根村にも何度も訪れているシンガーソングライター・でこさんに依頼。タイトルは「ほしのおと~LOVE豊根村~」とし、星の美しい豊根村、そこを故郷とする人たちのつながりの尊さを歌った。レコーディングには村の人たちも参加。満天の星空の下で一緒に笑った故郷を思い出すような、情緒的な始まりから、豊根村の自己紹介的な歌詞に至るまで、覚えやすいメロディーに村の魅力がギュッと詰まっている。途中には「豊根の、いいところ!」「豊根の、嫌なところ!」を口々に挙げていくところもあり、ユーモアのある楽曲に仕上がっている。

                         

「ほしのおと~LOVE豊根村~」は、今はまだ非公認。これをいつか、村の公認ソングにしたい、と村松さんは思っている。「まちのお祭りでみんなで歌ったり、豊根村を出て都会で頑張っている人がひとりの夜に聴いたり。みんなの心の拠り所となるような歌になったらいいなと思っています。茶臼山や道の駅で流れたり、村内放送で流れたりして、誰でも口ずさめる、“みんなのうた”に育てていきたいですね」。

 (村松さん提供)

 

あせらず、地に足つけて、一歩ずつ

 

「僕の根っこには、人に楽しんでもらいたいという気持ちがある。それは名古屋でライブハウスをやっていた時も、こちらで音楽イベントやキャンプ場をやる今も、変わらないですね」と村松さんは言う。「でも、田舎には田舎のやり方がある。それは大切にしなきゃいけない」、そう続けた村松さんの頭には、豊根村に来てからの苦い思い出があった。

 

「移住したての頃は、意気込んで、その分急いでいたかなと思います。いきなり名古屋から来て、若者集めて、イベントやって…って、それじゃ、何だあいつ?ってなりますよね。印象も良くない。まずは自分をよく知ってもらうことが大切、実績を作ってこそ、やっとここで暮らしてきた人たちと同じ土俵で話ができるんだと、今は思っています」。

 

村松さんは今、急いでいない。豊根村の先輩たちに、いろんなことを教えてもらいながら、それをじっくり味わい、楽しんでいる。

 

「僕は今の暮らしが気に入っているし、こちらに来て大正解だったと感じています。この村でやりたいこと、夢や希望が僕の中にはいっぱい膨らんでいる。でもまだ半年。第一歩を始めたところだから、あせらず、ちょっとずつ、村の人たちの中に入っていけたらと思っています」。

 

この先、愛する音楽、エンターテインメントを通して、村松さんはどんな賑わいを村にもたらすだろう。それが一過性のものでなく、住んでいる人間だからこそのじわじわとあたたかく、継続して少しずつ広がっていくような、確かなものであるといい。「ほしのおと~LOVE 豊根村~」を声をそろえて歌う人たちの笑顔も、きっとそこにあるだろう。

 

CD情報:2023年9月16日 全国発売

豊根村道の駅、お近くのCDショップほかamazon、楽天市場などでも購入可能

 

 

 

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インタビュー:佐治真紀 執筆:田代涼子 撮影:中島かおる

 

Information

夜空と星のキャンプ場

〒449-040 愛知県北設楽郡豊根村上黒川字西宇連14番地の1

URL:https://www.yozora-hoshi-camp.com/

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