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あいちの山里暮らし人だより

~Michi~

Vol.26

転職して林業7年目で抜擢!親方から会社を引き継ぐ澤田さんの覚悟とこれからの挑戦

「海に夢中だった僕が山仕事をしているなんて、全く想像していませんでした」

 

悩んだ末に飛び込んだ林業の世界で、事業継承者として大抜擢。

一見して輝かしい栄光ストーリーだが、家族や仲間に支えられ続けたドラマがあった。

そしてその先に描く未来は。澤田さんに話を伺った。

 

 

 

ダイビングに夢中の学生時代

 

国有林の現場に向かい車が左右に大きく揺れ進む中、意外にも海の話題から始まる。

神奈川県出身の澤田さんは、自然が大好き。静岡の大学へ進学し、海洋生物学を専攻していた。

学生時代は、スキューバダイビングのインストラクターをし、海一色の生活。

 

 

「学生時代、静岡の漁師さんは年に一回、伊豆山に入って植林してるって聞きました。

海は山と繋がっていて、山がキレイになると、海が豊かになっていくのは知っていたけど、僕は海がいい、とその時は思っていたんです。

だからまさか、自分が山仕事をしているなんて想像していなかったですね」と笑う。

海とは真逆の森で仕事をする、ある理由があった。

 

 

もう、潜れない…結婚、出産、そして移住

 

 

インストラクターは接客も楽しく、順調に思えたある日、病気が発覚。

海に潜ることが身体的に難しくなってしまう。

将来インストラクターとしての道も考えていた矢先。

当時夢を断念した気持ちは、一言では言い表せないことだと想像出来る。

「当時は辛かったですよ。でも仕方がないと海は諦めました。

自然の中にいたいな、とは思いながら、特にやりたいこともない。とりあえずお金を稼ごうと、愛知の自動車工場で働き始めました」

そこで奥さんと出会い、トントン拍子に結婚。

二人で「どこに住もうか?」と話す中で、どうしても自然の中で暮らしたい気持ちがあった。

「田舎に住みたい」と伝えると、奥さんも同意。

仕事を続けながら住める土地と家を探し、巡り会ったのが豊田の一番北の外れ。

それが、小原地区だった。

 

 

自然の中で生きる面白さ

 

結果Iターンという形で移住した、縁もゆかりもない小原地区。

そこでの暮らしが人生に彩りを添えていった。

澤田さん家族は子どももいたため、親同士の繋がりもでき、消防団も、めんどくさいけど…と入ってみたことで、グッと距離が縮まった。

仲間の輪が広がることで、田んぼ、花火、キャンプ、小屋作りと、充実した時間を共有出来るようになっていった。

奥さんも子どもも、地域にあたたかく迎え入れられ、暮らしを楽しんでいた。

そんな時、新たな転機が訪れる。

「近所の人に、「裏山に木切りに行くぞ」と声をかけてもらったんです。チェンソーないけどいいのかな、と思いながら行ったらすごい面白くて!」

これが、森仕事の最初のきっかけだった。

 

 

「小原地区に恩返ししよう」で踏み出した一歩

 

休日が充実していく一方で、悩み続けていたのは年々億劫になってきていた夜勤勤務。

どうせ辞めるならやりたいことやりたい、という気持ちと、転職するなら森の中なんじゃないかという想いが芽生えてきた。

転職が厳しくなる40歳までになんとかしたいと、森の仕事ガイダンスに参加した。

しかし現実は厳しかった。

「家のローンもあって、とても家族を養えるように思えなかった。

せっかく来たしと他のブースを見て回るうち、親方に出会いました」

森といえば森林組合というイメージで、民間企業があるとは思っていなかった。

家族手当、住宅手当も個人の相談に乗るよ、という待遇も去ることながら、親方の懐の深い人柄が印象的だった。

なかなか踏み出せずにいたが、小原地区での生活を振り返り、夫婦で「この技術と知識を持って周囲に恩返しできるならやりたいね」という話に。

これが決め手になった。

2年越しで親方に連絡をし、無事入社。

「なんとか稼いで、早く一人前になれるよう頑張ろう」と腹を決めた。

 

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