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あいち田舎暮らし応援団

あいちの山里暮らし人だより

~Michi~

Vol.24

「もったいない」の気持ちに正直に、廃業寸前の製材所を引き継ぎIターン。

岡崎市額田地区の「やまどり製作所」。製材所を引き継いだ嶋田さんが描く夢

 

岡崎市額田地区の緑に囲まれた道を歩いていくと、大きな黄色い鳥の絵に出くわす。「やまどり製作所」、ここにいるのは嶋田庸平さんと緑さん夫妻だ。廃業寸前だった製材所を引き継いで拠点にし、嶋田さんが描く夢は。やまどり製作所を立ち上げて3年経った嶋田さんに、想いを伺った。

 

美術大学の授業で森の中へ

 

嶋田さんに肩書を尋ねると、「木こり」であり「製材所」であり「アーティスト」でもある、そんな具合だ。それはなかなか珍しい組み合わせで、一見しただけではどれも繋がるように思えず、何をしている人なのかと勘ぐってしまうかもしれない。しかしそこにこそ、嶋田さんの一貫した思いがある。「木のことを、はじめから終わりまで関わる人間になりたかった」、そう話す嶋田さんは、岐阜県恵那市で出会った自分の理想となる林業家をイメージし、夢の階段を一歩ずつ進んでいる。

生まれは岡山県。山々に囲まれていたわけでもなく、ごく普通の「まち」で育った。大学を選ぶ段になり、自分は美術や建築が好きだと感じる。東京にある美術大学の建築学科で、学んだ。「建物の模型や図面を作るのが主だったんですが、自分は彫刻など等身大のものが作りたいと思っていたんです。そうしたら教授の中に、環境彫刻をやっている方がいて、とても影響を受けました。」

目の前の彫刻だけを作品と捉えるのではなく、周りの空間も含めて作っていく。実用的な建築というより、想像力を掻き立てられるような授業をしてくれて、おかげでそういうものの見方や表現を、自分の中に育てられたと思います」

 

岡崎市の森林組合へ就職

(ご本人提供)

 

その後愛知県立芸術大学で学びながらも、「食べていくには芸術家より手に職を付けることだ。庭師になろう」と判断。奈良で庭師になる。しかし再び縁あって、愛知県へ戻ってくることになる。岡崎市の森林組合への就職だった。

面白い縁だった。東京での大学時代に影響を受けた教授が、嶋田さんが愛知県立美術大学で学び出した1年後に同大学へ。再び指導を受けた。庭師になった後に、岡崎の森林組合を紹介してくれたのも、この先生だった。「僕の人生にとってはキーパーソンです。」

 

「もっと木を生かしたい」、恵那市串原に修行へ

 

こうして岡崎市の森林組合で働くことになった嶋田さん。結局6年勤めることになったが、その間に積もっていったのが「もったいない」という思いだった。森林組合に入ったことで、それまでうっすらとしか知らなかった愛知県の森林の現状や課題を、目の前に叩きつけられることになる。広大な森林面積に対して、林業をしている人の数は圧倒的に足りない。昔ながらの伐採方法では追い付かないから、林業の機械化が進んでいく。切り倒された後、運び出せずにそのまま森に置かれる木、運び出しても製材されずにチップになって活躍の場がほぼない木…。「自分が自由に関わることができたら、もっとこの木たちを生かすことができるんじゃないか」、嶋田さんの「もったいない」の気持ちは膨らみ続け、やがて森林組合とは違う道を歩む決断をする。

木のことを、もっと知りたい。木のそれぞれの個性をどう生かすかを考えたい。人の暮らしのためにただただ邪魔者として切られるだけでなく、ふさわしい活躍の場が、それぞれの木に与えられるようなやり方。そこに貢献するにはどうすれば良いか。その道を拓きたいと考え続けていると、良い縁が運ばれてくるものだ。いろんな人に会って話しているうちに、ひとりの友人が岐阜県恵那市の三宅林業を紹介してくれた。

嶋田さんが今では「親方」と呼ぶその人は、恵那市串原で、林業から建築業までを親子で行っていた。木を切るところから、製材し、それを生かして家を建てるところまで。そこに理想を見た嶋田さんは、3年間修業に行く。木の切り方、製材の仕方、建築まで、その親方から学ばせてもらった。

 

廃業寸前の製材所を引き継ぎ「やまどり製作所」が誕生

 

片岡製材の経営者がもう90歳を超えて引退をするらしい。このままでは工場もつぶすしかない。誰か引き継ぐ人はいないか…。製材は今は儲からない時代、嶋田さんもそれは十分に分かっていた。

「でも、自分がやらなければ、大将が続けてきたせっかくの製材所が、ただの鉄くずになってしまう」。嶋田さんは決めた。製材所を引き継ぐ。ここを拠点に、木と向き合い、その良さを生かす、自分らしい事業をするのだ。

 

嶋田さんがもっている財産といえば、森林組合をはじめ、林業に携わってきたことで得た技術。恵那市串原での修行で得た製材技術と、その先に生かす知恵。大学時代に培ったアーティスティックな感覚と建築の知識。そして、楽しく巻き込まれてくれる仲間の存在。「彼は、人を巻き込むのが上手なんだと思います」と、妻の緑さんが言う。「やまどり製作所」と名を付けた嶋田さんの事業は、木を扱いながらも切るだけでなく、製材だけでもなく、制作だけでもない、オリジナルな存在感を、額田地区の中で示し始めていった。

 

出来る限り木の搬出までを含めた、木の伐採をする。丸太1本からでも引き受け、お客様の木を製材する。木の個性を大切にして、テーブルや椅子、時に楽器などの作品制作・販売をする。嶋田さんの想いを反映した事業がひとつずつ形になり、地域に浸透していく。そんな日を積み重ねていると、やがて面白い仕事を頼まれるようになった。

「小学校への出前授業で製材や林業の話をさせてもらったり、ボルダリング遊具を作ったり。幼稚園では枯れ木を使った何か作るようなワークショップをしたりとか。『ちょっと面白いことやる系は、やまどりさん』みたいなイメージが、地域に広がってきた気がします」

そんな風に地域に溶け込んでいけた理由のひとつに「額田という地域の懐の広さがある」と、嶋田さんは話す。

「森林組合で6年間やってきた実績があるとはいえ、僕たち夫婦はもとはこの地域に何のゆかりもない人間。そんな僕らを受け入れてくれて、やりたいことがあるなら、やってみればいいじゃん、と温かく見守ってくれる、時には協力の手を差し伸べてくれる。懐の広い人たちだなぁと思います」

 

妻の緑さんは、子育て面において助かっているという実感が大きいそうだ。

「夫婦とも両親が近くにいないので、用事があるときに近所のおばあちゃんが預かってくれたり。子どもたちも『ひ孫のようなもんだ』って言ってもらえて、私まで一緒に家に上がり込んでご飯を食べさせてもらったり。野菜も毎日のようにいただいて、ここに住んでたら飢え死にすることは無いなぁって思います」。子育て環境としてもここは良いところだという緑さんの「夜はちゃんと暗いしね」という言葉が印象的だった。

 

「楽しい」を創造しながら未来へ向かう

 

3年過ぎた今、地域に根付きつつある実感がもてている嶋田さん。

「きっとここじゃなければ、こんな風に独立できなかった。周りの人にすごくお世話になって、ここまで来れたと思います。

 

「自分は自分のやり方で、木に向き合う。でも一方で林業の機械化が必要なことも事実。皆がそれぞれに森を想い、自分らしいアプローチで取り組んでいけたらいいと思う。ひとつひとつが小さくても、多様性があることが、地域の力を高めていくはずです」

建築学科を出ており、その後恵那の串原で修行してきた嶋田さんには、もう一歩進んだやまどり製作所のイメージがある。それは、自分たちで用意した製材を使って、建築までを担うことだ。「自分ひとりじゃなくて、それぞれの個性や得意分野を生かしあって、皆でいいものを作る、という形がいいですね。“山の資源で地域の楽しいを創造する”、それが僕の仕事だと思っています」

 

 

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インタビュー:佐治真紀 執筆:田代涼子 撮影:中島かおる

Information

やまどり製作所

〒444-3624 愛知県岡崎市牧平町字ゲンノウ94

TEL:090-6401-0253

URL: https://yamadoriseisakusho.com/

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