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あいち田舎暮らし応援団

あいちの山里暮らし人だより

~Michi~

Vol.22

妻の夢だったパン屋経営。 脱サラして毎日がドラマな日々。

「私の夢、何だったか覚えてる? 一緒にパン屋をやろうよ」今年で3年目のパン屋の毎日

工場勤めのサラリーマン生活で帯状疱疹に悩んだある日、妻が言った。「私の夢、何だったか覚えてる? 一緒にパン屋をやろうよ」。36年間のサラリーマン生活。もう少し続くはずだったその暮らしにピリオドを打ち、竹内政人さん夫婦は東栄町で小さなパン屋を始めた。今年で3年目。毎日はドラマチックに過ぎていくそうだ。

 

東栄町の小さなパン屋です

「こんにちは。いらっしゃい。いつもありがとう。今日もお仕事ですね。すぐにお召し上がりになるものでしたら、ベーコンエピがありますが、いかがですか」

訪れたお客さんにさっそく声をかける。仕事前に寄ってくれる常連さんのようだ。「固いパンが好き」と聞いて、と思わず声が弾む。「固いパン良いですよね!僕も大好きです」

 

妻の裕子さんがパンを焼き、夫の竹内政人さんが接客をする。張り切ってお客さんを迎える姿。竹内さんにはこの仕事がとても合っているように見える。だが、約3年前までの36年間は、サラリーマンとして勤務を続けてきた。

「流れ作業で製造をする工場では毎日同じことをやるのが仕事で、違ったことをすると叱られちゃう世界。誰でもできることを、皆が同じようにやるのが大事でした」

そんな日々の息抜きになっていたのは、旅に出かけることだった。20代の頃は「野宿ライダーだった」と、竹内さんは笑う。人に会うのが好き、美しい景色を見るのが好き。そして何より美味しいものが食べられるのを楽しみに、スケッチブックを片手に休みになるたびに出かけていた。そんな暮らしの中で出会った裕子さんと、10年前に結婚した。

 

パン屋が夢の妻と食物アレルギーの息子

パン屋で働いた経験もある裕子さんの夢は、自分でパン屋をやることだった。だが結婚当初の竹内さんは、本気にしていなかったという。

「奥さんはいつかお店をやりたいって言っていたんですがね、はいはい、いつかね~、そのうちね~という感じで(笑)。自分は窮屈ながらもサラリーマンを続けていくんだろうと思っていたんです」

結婚と同時に、一児の父になった。当時中2だった息子は、食物アレルギーをもっていた。それが、竹内さんの食べ物に対する考え方を変えたという。

「僕が食べ物にこだわるのは旅先のうまいもんくらいで、普段は食べ物はお腹を満たすための手段でしかないと、もともとは関心がありませんでした。でも息子のために、添加物や保存料を避けたりしてちゃんと良いものを食べていると、アレルギーが治っていった。食べ物が体をつくるというのは本当だなと感じました」

 

お互い食べることが好きな妻とは、旅に出てはいろんなパンを食べ歩いた。ドイツのカンパーニュ、フランスのフランスパン、スペインの雑穀パンetc…。「あの時のパンは絶品だったなぁ」と、今でもはっきり思い出す味が、いくつかある。ついには3年前、自分でパンが作ってみたくなり、パン教室へ。

「難しいけれど、出来上がるとかわいいし、食べても美味しいし、満足感も得られるし。パン作りっていいですよね」。

振り返ってみると、どれもこれも竹内さんがパン屋になる道へとつながっているようなストーリーばかりだ。

 

サラリーマンを続けるか、辞めるか

転機は、帯状疱疹だった。2019年、仕事で辛いことがあった時期に、竹内さんの体が悲鳴を上げた。

「真剣に考えましたよ。定年まではまだ数年あるけど、しがみついて頑張る必要があるのか。妻とたくさん話をしました。僕たち2人にとって、充実した人生って何だろう、どんな生き方がいいんだろうって」

子どもも大きくなって、自身で生活できるようになっていた。あとは夫婦2人の人生をどう過ごしたいか。もう、ガツガツ儲けようとしなくても大丈夫そうだ…。決め手は、裕子さんの一言だった。

「このままじゃ体がもたないよ。今、パン習いに行ってるよね。私の夢、何だったか覚えてる?」。

そうだね、いつかね、と聞き流していた妻の夢が、自分の人生に重なった。

「そうだな、今だ。今やろう!」

「美」を求める東栄町に共感

心が決まれば早かった。早速物件探しを始める。住んでいた新城市ではなかなか思うように見つからず、探す範囲を広げる中で、知り合いから東栄町の空き家バンクを教えてもらった。竹内さんの心を打ったのは、東栄町のまちづくりへのビジョンだった。

「役場の方に話を聞いてみると、『美』を求めたまちづくりをしていきたいという話で。そうしたジャンルでの移住や起業をぜひ応援したいと」

 

竹内さんも「美」を感じ取る人だ。

「つくりものは壊れてしまうけど、本当に美しいものは崩れない。その尊さを大切にしたい。美味しいものはその芯から美しいと思う。だから、そんなパンを作ってまちを盛り上げていきたい」。

パン屋を開く場所は、空き家バンクに登録して早々に見つかった。イメージをしてみると、パン以外にももうひとつ、竹内さんの「美しいもの」が喜びそうな予感がした。果たして店内には今、竹内さんが描きためた絵が飾られ、お客さんを迎えている。

 

ありきたりの日常が彩りを取り戻した!

2020年にパン屋「杏の家(あんのいえ)」をオープン。その後コロナ禍となったこともあり、「そりゃあ、いいことばかりではないですよ」と竹内さんは言う。毎日が、いいことと悪いことの積み重ね。自分たちの人生はこれで良かったのかと立ち止まったり、地域の人に喜ばれているのかなと心配になったり。けれど、サラリーマンの頃とは大きく変わった点がある。灰色に見えていた世界が、カラフルで鮮やかなものに変わったことだ。

「サラリーマンの頃は、毎日同じ景色の中で同じことをする日々。創意工夫は求められていないどころか、邪魔にされました。でもこの場所では、毎日いろんなお客さんがおみえになってパンを喜んで買っていってくださる。自分が描いた絵も見ていただける。商品開発をしながら、妻と、一緒にドイツで食べたあのカンパーニュは最高だったねって話すひと時もある。それはとても幸せなことです」

 

「毎日がドラマ」、その日々を大切にしたい

店にはいろんなお客さんが来る。たまたまお店を訪ねてくれた人が、小学校の同級生だったり。なんだか同じ名前のお客さんが多くて、お互いを紹介したらそこで盛りあがったり。この場を起点につながりが広がっていくのが面白い。先日は、職場体験に来た小学2年生の子に「美味しいパン作りには時間がかかるんだよ」と話したら、両親を連れて買いに来てくれたそうだ。

「お母さんが、『時間のかかるパン、どれですか』って。子どもが家で親御さんにも話してくれたんだなぁと思ったら、その気持ちが嬉しくて。妻もウルウルしていました」。

こんなストーリーが毎日のように生まれる。それを竹内さんは「毎日がドラマ」だと表現した。

「お隣さんが売れ残りを心配して毎日のように買いに来てくださったり、92歳の足の不自由なおばあちゃんが『あんたたちのおかげで助かってるよ』と言ってくれたり。この場所で、あたたかい人たちに助けていただきながら、こうしてやっていけるのをありがたいなぁと思います」

この先、店を大きく展開したいとは考えていないそうだ。

「自分たちが美味しいと思えるものを出して、それを美味しかったね、と喜んでいただけることが一番嬉しい。欲をかかずに、お客さんのことを考えて、まじめに丁寧に。それが僕らの望む人生の在り方です」。妻の夢が、ふたりの希望として形になった。シンプルな喜びに立ち返って夫婦で織りなす毎日は、東栄町の優しい人たちの中で、人間らしい輝きに満ち溢れていた。

 

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インタビュー:佐治真紀 執筆:田代涼子 撮影:中島かおる

 

 

 

Information

杏の家

〒449-0214 愛知県北設楽郡東栄町本郷西万場6-2

TEL:090-5030-0808

URL:https://www.instagram.com/annoie09050300808/

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