岩手県での経験も生かし 喜べる林業へ、つながり作りたい
なめらかにつながり合って、皆が喜べる林業を
東京から岩手県へ、そして新城市へとやってきた平林大騎さん。深く知るほどに林業の魅力に惹かれ、その可能性を模索している。
「なめらかにつながり合って、皆が喜べる林業を」と語るその姿は、何を思い描いているのか。新城市での1年が経った、今の想いを取材した。
23年間東京人、いきなり岩手で漁師に?
平林さんが林業の世界に入ったのは7年前。その前は漁師だった。だが、漁師の家庭に育ったわけではない。東京で生まれ、そのまま東京の大学生になった平林さんがなぜそのような人生を?と尋ねてみると、東日本大震災が関係していた。
「大学は工学部で、機械システムを勉強していました。将来はその延長にある仕事をするんだろうと思っていたんですが。大学で、岩手県釜石市に理科教室に行っていたんですよね。子どもに理科に親しんでもらおうという。その関係から、東日本大震災が起こったとき、被災地へボランティアに行きました。そしてそのまま、岩手で漁師になったんです」
学びの多かった漁師の世界
もともと、海が好きだった。泳ぎに行ったり、釣りをしたり。漁師の誘いがあったときも「面白そうじゃないか!」と思い、飛び込んだ。東京では見かけないようなその仕事には、多くの学びがあったという。
「海という自然が相手の仕事ですから。その世界に入らなければなかなか目にすることもない仕事なので、中に入ってみて、本当に勉強になりました」
だが2年働いたところで体調を崩し、漁師の道を断念せざるを得なくなる。ここで東京に戻ることもできたが、ちょうど5年間の任期付きで、住んでいた地域の市役所が職員を募集していた。岩手県での暮らしは、もう5年延びることとなった。
海が好きなのに林業の分野へ
その時、市が募集をかけていたのが林業の分野だった。それが平林さんと林業との出合いとなった。
「僕は海が好きで、山は全然興味がなかったんですけどね(笑)。このまま岩手にもう少しいたいな、と思った時のたまたまのご縁で。そうじゃなかったら、林業には携わっていなかったと思います。縁って面白いですね」
市役所では、森林についてのさまざまな計画に対し、認定や許可を出すのが仕事。シカやクマの対応にも追われた。
「僕、シカを捕まえるのけっこう上手いんですよ。わなを仕掛けて、かかったシカの対応を朝早くにしてから役所に登庁、なんてことをよくやっていましたから。愛知県とはシカの数が全然違います。その辺一帯がシカの糞だらけなんて場所も多いんですよ」
釜石市で大規模な山火事が起こったときには、その事後処理に追われた。
「約400ヘクタールも燃えたんです。その半分以上を市が復旧しました。その頃は毎日忙しく走り回っていましたね」。
こうした仕事をしながら、気づけば「海」から「山」の世界に、平林さんの興味は移っていた。
「山って、かなり複雑なんですよね。国や県、市との関係とか、権利の問題とか。複雑だからすぐには解決しないことが多いけれど、ひとつずつひも解いて、結びなおしていけば光が差す。そんなところに魅力を感じるようになっていきました」
新城市はまだまだ都会?
そして岩手県での5年の任期が終わるころには、平林さんの中には「もっと林業に携わりたい」という想いが膨らんでいた。同時に思っていたのは「岩手だけではなく、他の地域のことも知りたい。一度、岩手を出てみよう」ということ。募集を探し、新城市との縁が結ばれる。それまでは全く縁のなかった愛知県で、平林さんの新しい暮らしが始まった。
新城市で暮らしてみての印象を聞くと「さほど困ることはなかった」と言う。
「岩手で暮らし始めた時は、若ぇもんが来たぞ~って、入れ代わり立ち代わり周りのおばちゃんたちが、庭で採れた野菜なんかをもって、話を聞きに来ていたんですよ。それはそれで楽しかったです。こちらに来たときは、もっとスマートというか。お互いそんなに首を突っ込まない感じ。サラリーマンの方も多いし、街との距離も近いし。シカの糞もそんなに落ちてないですしね(笑)」
役所から森林組合への転職
新城市での平林さんの就職先は、市役所ではなく「新城森林組合」。同じ林業の分野と言っても、そこが大きな違いだ。
「市役所は、いろんな発注を出す側でした。森林組合は、受ける側。組合員である森林の所有者のことを考えながら、森をどうしていくべきか検討していく。自分で木を伐ったりはしないですけど、ポジションとしては森の持ち主により近くなりました」
国や県、市などから出る補助金をどう使えば、森や林業を、所有者を含めた住民たちが望む形にしていけるか。現場に行って自分で様子を見ながら、一方で事務方として書類の処理もしていく。オールラウンダーであることが求められる仕事である。
「自分には合っていると思います。もともと木の香りが大好きで林業にとか、親が山をもっていてとかの、森林への愛着でこの仕事を選んだわけではなくて、考えて粘り強く調整した先で、結果が形になるということに、林業へのやりがいを感じているので」
「あいち森と緑づくり税」がすごい!
平林さんが愛知県ですごいと感じたのが、県民税の一部を林業に生かしていること。「あいち森と緑づくり税」のことだ。県民税均等割額に年間500円を加算、また法人税にも均等割りを加えて、年間約22億円を集めている
(愛知県サイト「あいち森と緑づくり税について」参照 https://www.pref.aichi.jp/soshiki/zeimu/0000025831.html)。
特に素晴らしいと感じているのが、その税金の使い方だと言う。
「愛知県は、減災や防災につながるやり方で、木を伐っているんですよね。普通は、このエリアって決めたら、全体的に、画一的に間伐するだけですが、愛知県は林縁部で、通行するのに邪魔になる木を選んで伐っていく作業をしている。これは、いざ災害が起こったときに倒木で救急車両が通れないような事態を避けることにつながります。こういうところに公共のお金をかけるという考え方は、とても優れていると思いますね」
間伐は商売にもなるはず
「日本の林業には、国や県、市などからいろんな補助金が出ています。それをちゃんと生かして未来につなげるのも、森林組合の大切な役目」と平林さんは話す。
「新城市は、ほとんどが私有林。間伐をしようと思っても、公道からの距離とか搬出の難易度で、赤字になってしまう木はやはり伐りづらい。でも伐るべきところもある。そういうところをちゃんと調査して見極め、必要なところに補助金を使っていくというのは、理に適っていると思います」。
間伐材への意識が、まだまだ「木の成長の邪魔にならないよう間引きする」ことだけにとどまりがちなこの地域は、もう一歩進むことができるはず、と平林さんは考える。
「岩手では、間伐材を市場に出して、どう売っていくか考えることに、地域の関係者たちが力を注いでいました。間伐材は利益を生むことができる、岩手ではそういう結果がちゃんと出ているんです。どんな森を作りたいのか。どこに道を通すのか。間伐した木はどう生かすのか。新城市でも、そうした広い視野での道筋をみんなで共有できたら、可能性は無限大に広がっていくと僕は思います」
力を注ぎたい2つのこと
そのために今、平林さんが力を注ぎたいと考えていることが2つある。教育と、自身のキャリアアップだ。「新城にきて1年。4つの季節がひと通りめぐって、やっと少し分かってきたところで、まだまだ勉強中ですが」と言いながら伝えてくれる思いは、まだ1年だからこそのフレッシュさがプラスに働いているように感じられる。
「人をちゃんと育てたいと思っています。僕が来た頃から新城森林組合は年齢層が若く、私が入った後も若い人が入ってきました。違う地域の林業を見てきたからこそ伝えられることもあると思うし、事務作業なんかは僕たちみんながしっかりできれば、組合員さんのために動けるパワーが違ってくる。新卒で入ってきたときに、それをきちんと教えられる仕組みがあればと思います。森のこともそう。聞かれたことに応えられることで、信頼感が増していくものです。現場にも積極的に連れて行って、地域の人に相談されたときに、『提案』までできる人間を育てていきたいですね」
自分を高めることにも積極的だ。「僕、森林作業プランナーになりたいんですよね」、そう話す平林さんは、目標を見つけてどこか楽しそうだ。
「林業を知っていくにつれて、足りないなと感じたのは仲介役です。県や市に対して地域の山主と、多くの人が関わる中で、例えば現場と行政との橋渡しができる人間がいれば、話がうまくまとまるようになる。僕は役所と組合で林業についての経験を積んだけれど、その経験を森林プランナー資格の勉強を通して整理し、理論として伝えられるようになりたい。それも、誰もがよく分かる言葉で。だから今、資格取得に向けても頑張っているんですよ」
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平林さんの言葉には「林業をより良くしたい」という想いが満ち溢れていた。行政と森林組合という両方の立場で働き、現場の声を聞いてきたからこそ「立場は違えども、同じ方向を向けば一緒に大きな一歩が踏み出せる」と信じる。
そこに長くいる人間だけでは、気づけないこともある。また、ひとりが思い描くだけでは、間違うこともあるかもしれない。森に新しい息吹を吹き込む若者の声が、こだまのように広がり、力強い輪ができていけば、そのまちはきっと強くなれる。
インタビュー:佐治真紀 執筆:田代涼子 撮影:中島かおる