「嫁ターン」で始めたパン屋。 田舎と街をつなぐ人になりたい。
こんなにも自分のやりたいことができるのは初めて!
1日最大150個限定のベーグル。遠くからもお客さんがやってくる、山あいのパン屋さんが目指すのは「田舎と街をつなぐこと」。「こんなにも自分のやりたいことができるのは初めて!」と、毎日思う存分にパンを焼いた彼女は今、大好きなこの地の魅力を伝え、守ろうと、試行錯誤を続けている。
ひねくれ者で、居場所のなかった子ども時代
倉橋知栄さん。岡崎市額田地区で「べーぐる庵」を営む2児の母。夫の実家のあるこの地域に嫁としてやってきた。いわゆる「嫁ターン」である。現在は夫の両親と同居しながら、実家の農機具倉庫を改装し、パン屋を開いている。
生まれは豊橋。子ども時代にあまり良い思い出はない。
「なんで学校に行かなきゃいけないの?と聞いちゃうような子でしたからね。我慢して人に合わせられる姉とは違い、いろんなことを嫌々でもやらなきゃいけない学校の集団生活や、それを良しとする家庭には居場所が見つかりませんでした」
今思い返しても、楽しかった印象はないそうだ。
バイクにはまって警察官になる
毎日に面白味を感じられなかった彼女が短大に入り、ある存在に心を奪われる。それはオートバイ。
「人生で初めて、こんなにハマりました。自分は短大だったのですが、近くの大学のオートバイサークルに入り込んで、そこに入り浸る日々。人生で一番楽しかった2年間かもしれませんね」
短大卒業後、警察官に。その理由もオートバイだった。
「やりたいことしかしたくない。仕事にも、お金にも、興味はもてなかったけど、白バイ乗ってお金までもらえるなら、それ楽しいじゃん!って」 白バイが動機の就職だったが、厳しい寮生活に音を上げることもなくその後10年間勤め上げた。
都会派の夫と、パン作りとの出逢い
警察官をしている頃、一度目の結婚。夫になった人は「便利で快適な都会暮らしが好き」な人だった。名古屋のマンションで暮らしながら「あれ?なんかこれ、私が望んでいた生活と違う…」、そんな思いが大きくなっていった。
都会での結婚生活に違和感をもちながらもこの頃、彼女の生涯を決定づける出逢いをしている。「パン作り」だ。好きになれるものを見つけたら一直線、飽きるまでやり続けたい彼女の性格に、パン作りが火をつけた。
「昔から、ものづくりは好きだし得意だったんですよ。たいていのことはやってみると、器用にできたのに。パンはね、難しいんですよ…。クリアしたい!って思っちゃったのが、この長い付き合いの始まりでしたね」
2年で離婚した彼女は「結婚なんてもういい。自分でお金をためて、田舎に土地を買おう。そこでめいっぱいパンを焼こう。畑もやろう」、そんな風に考えていた。
「田舎の嫁さん探し企画」で運命の出逢い
だがしかし、人生はひとりでは生きられないし、持つべきものは友達である。離婚して、前を向きながらも傷心の彼女を、友達が誘ってくれた。「これ、参加しない?」持っていたのは、「田舎の嫁さん探し企画」が掲載された新聞記事だった。
この企画に応募し、彼女は初めて岡崎市の額田地区を訪れる。雄大な自然、美しい川の流れ、田舎暮らしを夢見ながらこの企画で結ばれたのが今の夫!ではなく(笑)、夫は男性側として参加してはいなかったそう。だが実質的にはこの企画に関わっていたのが縁で出逢ったのだから、友達万歳!には違いない。
パン屋のアルバイトでは飽き足らず…
新婚の二人は、岡崎市の街中のアパートで暮らし始める。彼女はまだ、警察官の仕事を続けていた。そんな折、アパートの目の前に、パン屋が新装オープンするという。「これは、神様がここで働け、パン屋をやれ、って言ってるんじゃ?」そう思った彼女は警察官をやめ、パン屋でのアルバイトを始めた。
「ちょうど、10年続けた警察官の仕事に、疲れてきていたんですよね。パン作りが大好きだけど独学だし、趣味で続ければいいと思っていた目の前にパン屋さんが現れて。人生、このまま終わりたくない!と、強く思っちゃったんです」
こうして始めたパン屋でのアルバイトだったが、長くは続かなかった。一生懸命働くものの、「こうじゃないんだよな」「自分だったらこうするのに」、そんな思いが日に日に強くなってしまうせいだ。パン屋のアルバイトを2か所経験したところで、思い切ることにした。「やっぱり自分で思いっきりやりたい!自分のパン屋を作ろう!」と。
思い描いていた幸せがここにあった!
2006年。岡崎市鍛埜町で「きゃぞく工房」をスタート。注文販売から始め、直売所などでも販売できるようになった。来る日も来る日もパンを焼く。
「めちゃめちゃ幸せでした。自分の思い描いていたことが、思いっ切り出来ている感じがある。私、完全燃焼できている!そう思えることがどんなに素晴らしいことか」
その頃には夫の実家で両親との同居も始めていたが、そのことに対しても不満は全くなかった。
「もともと田舎暮らしがしたかったので。そういえば夫と結婚するときにも、石窯を作らせてくれるのが結婚の条件だなんて、言いましたもん。やりたかった暮らしが今、目の前にある!という感じでしたね」
パン屋は順調に成長していった。思う存分にそれを楽しみ、子どもが生まれたとき、彼女はお店を閉める決断をした。
「私は不器用なので、2つのことを同時にはできないんです。次にパン屋をやるとしたら、子どもが10歳になってからだと考えました」 その後本当に長男が10歳になるまで、彼女は子育てに専念する。
子育てからできるつながりと、気づいた違和感
子どもが生まれ、それを通していわゆる「ママ友」ができてきた。それは彼女にとって、初めて広がった「自分のつながり」だったかもしれない。
「嫁として地域に入っていくって、入りやすいようですけど難しいところもある。あくまで、誰々さんの嫁、なんですよね。家の中心はあくまで夫の親だったりする。それとは違うつながりが、子育てをすることで出来てきました」
子育てをしながら「こんな場所が欲しい」「こんな制度があったらいい」と、積極的に周りに語る彼女。だが語るほどに周りとの温度差にも気づき始める。 「ここで何かがしたい、っていう想いをもっている人は少ないんですよね。結婚した人がこの地域の人だったということ。だからここに住んでいる。ここは田舎とはいっても、近くに働きに行ける場所はあるし、サラリーマン家庭も多い。特に不満も持っていないので、何かを変える意識を持ちにくいのかなと思いました」
2回目のパン屋は「地域のために」
そんな子育て期間を経て長男が10歳になったとき、彼女はもう一度パン屋を始める。それも今度は物件を借りてではなく、義父の農機具倉庫を改装し、自宅でのオープンだ。
「大工仕事も出来ることは全部自分でやりましたよ。天井も壁も自分で塗って、木工教室に通って机やいすも自作しました」
なんでも一直線の彼女らしい姿だ。
「1度目のパン屋は自分のためにパンを焼いたけど、今回は地域のためにパンを焼きたいと思っていました」-この地域で暮らして14年が経った彼女は「地域の人たちが気軽に集まって話ができる場所が必要だ」と考えていた。
「私にできるのは、パンを焼くこと。それを通してまちづくりに貢献出来たら…」
店名も「田舎と街をつなぐ べーぐる庵」とした。自分がこんなに自分らしく生きられる幸せを得たこの地域を、守っていきたいし知ってほしい。より良くしたい。そんな想いが詰まっていた。
パンは売れども、つながりはどうか…
2019年の秋にオープンし、2年が経った。パン屋としての経営は順調で、忙しすぎるほどだ。取材時も次々と「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」という声が飛び交っていた。1人で始めたパン屋は、今や2人の従業員を抱え、起業家としては非常にうまくいっているというところだろう。
「大好きな田舎で、自分の好きなことで店を開き、お客様に喜んでもらえる、という姿としては成功の形だと思う。夢をもってこの地に移住したいという人にも、そういう話ならしてあげられる。でも、田舎と街をつなげることに貢献できたかと問われれば、そこはなかなか思うようにはいかなかった」
真っすぐで正直な目は、悔しそうだった。
2年間パン屋をやって分かったこと
「田舎暮らしで夢を実現だなんて、来たい人を煽るのは簡単だけど、みんなが諸手を挙げて歓迎してくれるところには至っていないと思う。都会に比べて、出る杭は打たれる、というのは、残念だけれどまぁ、当たっているところもある。空き家バンクとか、子育て支援とか、当事者目線でこうすればいいのにと伝えても、変えていくのって本当に難しいなと実感しているのが、正直なところです。集えるパン屋っていう場だけ用意しても、人をつなげていくにはまだまだだったな、というのがこの2年で感じたことですね」。
この地域を知らない人たちに「ここで暮らすのがいいよ」と勧めたいのならば、住んでいる人たちも意識を変えていく必要がある。そのためにどうしたら良いのか。パン屋では自分の望むような成果が得られなかったが、彼女は、まったくあきらめていなかった。
待って来ないなら、自分から会いに行く
「この春から、お店は私1人体制にしました。やはり人を雇うと人件費を確保するために、ある程度の規模を保っていかないといけない。そうすると自分の行動が制約されてしまうので、もっと自由に動きたいと感じて」。
集える場を用意して、想いある人の訪れを待ってみた。だが、そういう人はやって来なかった。それならこっちから行こうじゃないか! 全くもって、前向きな発想だ。
「これからはイベントなどの人の集まる場所に、どんどん出て行こうと思って。自分ひとりなら自由に動けるし、パン屋の規模を小さくすることで生み出された時間は魅力的な場所づくりに使いたいなと」。
「私は、この場所が大好きなんです。ここで暮らすのが楽しい。マンション暮らしは窮屈だったし、土があるところで住むのが心地いい。だから、田舎に惹かれて外から相談に来る人には、いろいろ教えてあげたいし、快く迎えて支えてあげられたらと思う。もともと住んでいる人たちには、外から人が来るのって、いい風が吹くねって感じてほしい。たまたまここに住んでいると思っている人にも、この場所の魅力に気づいてほしい。できれば一緒に何か作り出したい。そのために自分ができることを、できる形でと、模索しているんです」
この夏は、遊び人になる?
身軽なひとりパン屋になる彼女は、地域の中でできることを探し、早々に動き出していた。これから何をするのか。ヒントになったのは、お店の目の前を流れる川だったという。
「パン屋に買いに来る人に、けっこう聞かれたんですよね、川遊びができる場所はないのかって。そういえば、うちの子も周りの子も、こんなに川が美しい田舎に住んでいるのに、川遊びってあまり経験していない。川に限らず、自然の中で目いっぱい遊ぶということが足りていない気がする」
それに気づいてから、彼女は子どもが田舎遊びを楽しめる機会づくりを構想し始めた。何事も、思い立ってからの行動が早い人。今年の夏は本気で「イベントを作る人」になるようだ。
「イベントづくりを通して、街から遊びに来た人だけではなく、地域の人たちが何かしら関わってくれて、一緒に何かを共有できたらいいなと思います。それが田舎と街とをつなぐことになるかもしれない。大事にしたいのは、楽しいってこと。子どもをカモフラージュに、大人こそ遊んじゃおうよと(笑)。大人ももっと遊ばなきゃ駄目ですよね」
そう言った後、「子ども時代に遊ばなかったから、私自身が一番遊び足りていないのかも」とつぶやいて笑った。大きな子どもが大笑いしながら大はしゃぎ、そんな夏の一日を思い描きながら、これから地道な努力が続きそうだ。
楽しいと思えることを、思いっきり
最後に、大好きなパン屋さんを縮小するのは残念ではないかと聞いた。
「パンはもう、いっぱい焼いたので満足しました。やり切った、という感じ。次は新たなテーマに向かいます。今は店のことを考えるよりも、子どもの遊びイベントのことを考える方が楽しい。楽しいと思えることを、思いっきりやります」
田舎暮らしの魅力も難しさも包み隠さず話してくれた、倉橋知栄さん。彼女の姿は「田舎暮らしは、当事者になってこそ面白い」ということを教えてくれる。彼女のように「何もないけど、何でもある」、そう捉えることができれば、自分らしい暮らしを作っていける可能性は無限大だ。
そこに「人とのつながり」があれば、暮らしは何倍も楽しくなる。知栄さんの頑張りと、活動の広がりを応援したい。
インタビュー:佐治真紀 執筆:田代涼子 撮影:中島かおる